北海道フィールドワーク番外編「なつかしの街」
3日目の午前中は自由時間(学生たちはグループ別の自由学習)。「島」にお土産をホイと送って、狸小路を1丁目まで抜けてみる。

そうか二条市場はこの場所だったのか。何度かやってきた子どもの頃の記憶よりずっと小さい。

創成川も、もう少し記憶の中では大きかった。

国道36号線に出て、目についた中央バスの停留所をながめてると、なつかしい路線図が描かれている。そうか、これに乗れば昔くらしたあたりにいけるのか。待ち時間も10分ほどだったので、その場の思いつきで乗ってみる。窓の外をながめながら、降りたのは「美園3条4丁目」。目の前のこの建物は、昔はS田クン(小学校の同級生)の家の洋服屋さんだったが、いまはどうなっているのだろう。

3条3丁目のかどにはなつかしい文房具店兼本屋さん。『小学〇年生』とか学研の『科学』とかを、自宅まで届けくれていたような。このかどを右に進むとわが母校・豊園小学校となっていく。

3条2丁目にすすみ、3条1丁目にあったわが家(じいちゃんに借りていた2戸で1軒の2階建の借家)はとっくに解体されており、いまはまわりの土地とあわせて、こんな大きなマンションが。信号機の前は、昔は国島ペイントだったのだが。

3条1丁目をまっすぐ歩くと、こちらの理容院が残っていた。店構えはちょっと違った気がするが、記憶の限り高校卒業まで散髪はここでしかしたことがない。もう営業はしていないようだったが。

美園をこえて、となりの豊平へ。お祭りといえば、ここにならぶ塩豆、切り抜きなどの出店が楽しみだった。昔は「豊平神社前」というバス停があったが、いまはなくなっているようす。

午後は1時からアシリチェプノミだが、歩いてもどうにか間に合いそう。ということで豊平川の7条大橋に向かって歩いていく。そういえば昔は、途中に、もう使われなくなった「定山渓鉄道」の線路と小さな駅が残っていたが、どこにもそれらしいものは見あたらなかった。50年も前のことだから。予想どおり儀式の時間にはまにあった。子どもの頃にとても遠く感じていた豊平川も、いま歩いてみればこれくらい。あの頃は、そういうサイズの世界に生きてたわけだ。


