角山栄『茶の世界史』(中公新書、1980年)を読み終える。

 副題は「緑茶の文化と紅茶の社会」。

 「緑茶の文化」は日本の茶の湯の文化を、

 「紅茶の社会」はアジアから茶を手に入れ、西インド諸島などから砂糖を手にいれたイギリスの「紅茶帝国主義」を意味している。

 18世紀の世界経済にとって、砂糖はきわめて利益の大きな商品であり、茶に砂糖を入れるイギリス人にとり、それは必要不可欠な生活物資でもあった。

 他方、イギリスは中国からの茶輸入の交換品として、貴金属貨幣ではなく、インドのアヘンを持ち込んでいく。

 「アヘン戦争」は、これへの中国の反発に対する「報復」であり、その限りで帝国主義的色彩が強い。

 ワイン文化が希薄なイギリスには、アジアのお茶から紅茶の文化がをつくられるが、他方、インドからの綿布の輸入は在来の羊毛・絹産業を危機に陥れる。

 その危機からの脱出努力が綿産業からの「産業革命」を生み出していく。

 それは一国史的視角のみで理解できるものではない。

 茶に関連して、洋の東西の食事の比較も登場するが、15~16世紀ヨーロッパの食事は確かに貧しい。

 食にまつわる文化も貧しく、ナプキンとフィンガーボウルも、要するに手づかみでの食事の手洗い道具。

 17世紀イギリスでの「東洋趣味」の根底には、この文化の格差が存在した。

 主婦が紅茶をいれるという習慣にかかわり、19世紀に「中産階級あるいは下層中産階級の主婦を対象」としたイギリス版『暮らしの手帳』が発行されたとの話が登場する。

 こちらは、資本主義の成長が生み出した19世紀型専業主婦の文化形成にかかわるものともなっていく。

 歴史というのは、リアルに知るべきものである。