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 小浜島に隠遁す。

小浜島のバス停たち

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2004年3月21日(月)~3月27日(土)……小浜島に隠遁す。

〔21日〕……眠い目をこすって関空へ,石垣島から小浜島へ。

 12時30分就寝,7時起床の朝であった。

 コーヒーを飲んで,シャワーをあび,メールを見ずに外に出る。

 JR「加島」発7時46分の電車にすべりこむ。

 JR「尼崎」から,8時00分発の空港バスにのる。

 車中「ドル不安の人」となりつつ,関空へ。

 う~む,眠い。

 IMFドル特権体制の形成から今日まで,大きく「ドルの戦後史」をとらえる必要がある。

 あわせて「ドル不安」のなかで,安定した経済発展をもとめるアジアの課題も考えねば。

 9時すぎには,関空で搭乗手続をとり,9時35分には空に飛ぶ。

 飛行機はボーイング737の「中型」である。

 横6列の全130人程度の大きさである。

 機内「ドル不安の人」を継続し,最後の30分ほどはウトウトしていく。

 それにしても,ドル安を「容認」しつづけるアメリカは,ドル特権をどう守るつもりなのだろう。

 12時には,石垣島に着く。

 飛行機の足もとまでバスがくる。

 ここは自衛隊との共用空港ではないようだ。

 気温は20度を軽くこえている。

 ただちに石垣港の「離島桟橋」を確認する。

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 荷物を預けて,ブラリブラリと近くの商店街へ。

 島料理の店「南の島・パイヌシマ」を探し当てる。

 さっそく本場の八重山そばを食う。

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 沖縄本島のソーキそばよりも,麺が丸くて太い。

 思ったほどにボソボソしてはおらず,麺自体に味がある。

 店内には「ホンジャマカ石塚」の色紙もあった。

 「まいう~」である。

 近くの石垣市立八重山博物館に行ってみるが,残念なことに今日は休館日である。

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 博物館前の「人頭税廃止100年記念の碑」を撮影してみる。

 人頭税というのは,15才から50才まで,貧富の差にかかわりなく,人間の頭数に自動的に重い税をかけた悪税である。

 イギリスのサッチャー政権が,財政赤字克服のためにこれを導入したいと語ったことは記憶に新しい。

 「廃止100年」を記念するところに,これと闘った島民たちの思いの深さがこもっている。

 サッチャー政権にとっても,確かこれが命取りとなったはず。

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 近くに大きな本屋を見つけ,たくさんある沖縄本コーナーで何冊かを買ってみる。

 地元の新聞に連載されたものなど,ここでしか手に入らない本というものがある。

 土産屋に入り,ただちに京都のチビたちに珍しい食べ物関係を送ってみる。

 正月の旅行で好評だった「ミミガーチップス」も入れてみる。

 さらに商店街で当面の食材をながめていく。

 公設市場には,例によってブタの顔面がならんでいた。

 コンビニ「シーサー」に寄って,3時前には「離島桟橋」へ。

 船を出す安栄観光の待合室にはクーラーがかかっている。

 3時10分発の「あんえい12号」で,さらに石垣島を後にする。

 いっしょの船には「ちゅらさん」ツアーであろう,年輩の集団がゾロゾロと乗り込む。

 それ以外の客は,われわれをふくめて2組だけ。

 途中,竹富島の脇をとおって,3時40分には小浜島に到着。

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 ここが今週の隠遁の地である。

 船着場の前の「総合案内所」でアイスクリームを食べ,レンタルバイクをねぎってみる。

 もちろんねぎり役は相方である。

 大きなリュックは,宿泊先からのお迎えバスにまかせ,バイクで島内をブラついていく。

 1周16キロメートルという小さな島である。

 手書きの大雑把な地図で十分なのである。

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 島の中には,人よりも牛の姿が多く,山羊の数が多く,人よりは少ないようだが,ついでに猫もフラフラしている。

 道に迷いながら,5時には宿泊先に到着。

 着いてみると,目の前には西表島がひろがっていた。

 部屋に荷物をひろげ,6時には夕食である。

 「熊本から来ました」「栃木からです」という若いお客さんチームと3組だけ。

 目の前の海でとれたモズク,アオブダイの刺身など地元の料理を,地ビールを飲みながら,食べていく。

 食べているあいだに,静かに西表に雲がかかり,残念ながらあかい夕陽は見られない。

 食後,浜辺を散歩する。

 気がつくと,立派なツノの山羊が,その前の草むらから,ジッとこちらを見つめていた。

 あの縦長の目には,なんともいえない迫力がある。

 8時には部屋にもどり,先に送っておいた荷物をあける。

 コメに,調味料に,味噌汁に,何冊かの本も。

 パソコンはリュックにつめて,持ってきた。

 買ったばかりの泡盛「八重泉」のボトルをあけ,部屋にあったビデオをながめてみる。

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 「ジョンQ」は,息子の心臓移植に必要な費用を工面できない父が,病院をのっとって,「自殺する自分の心臓を移植しろ」とせまるもの。

 医療保障の貧弱なアメリカの社会をテーマにしたものだが,特に高度医療については日本もかわりはないのである。

 「バニラスカイ」は,人体凍結による永眠会社に身をゆだねた男が,永遠の悪夢に苦しむ物語。

 見ている側も夢と現実の区別がつかずに混乱させられる。

 夜になっても,部屋は寒くはないようである。

 12時半には,バッタリ眠る。

 

 〔22日〕……あおい空,みどりの海,豊かな草木,そして,人より多い牛。

 9時すぎの起床であった。

 コーヒーを飲み,シャワーをあびて,HPを書く。

 いつもは旅行の後に,家でまとめて書いていたが,今回は,現地ただちに書き込み型を採用してみた。

 やはり帰ると仕事がガッツリたまっているので。

 30分ほど,外の芝生の上で「東南アジアの人」になってみる。

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 本を読んでいるうちに,夕べの2チームがそれぞれここを旅立っていく。

 船の時間にあわせての出発である。

 手をふって,軽くご挨拶。

 12時になって,初の自炊に取り組んでみる。

 ゴーヤポーク玉子チャンプルーと海ぶどう丼をつくる。

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 おお,海ぶどう丼が思った以上にうまい。

 仕事と無縁に,このような環境で食べるからということもあるのだろう。

 あわせて「つぶがこまかくそろっている方がオイシイ」という,石垣島の公設市場のオバアによるおすすめも効果があったのだろう。

 1時にはバイクで島探検にでかけていく。

 昨日はあまり目につかなかったが,島内にはウマの姿もずいぶん多い。

 マングローブの繁った浜というのを左手に見ながら,東の浜へとすすんでいく。

 ちなみに宿は島の西の端である。

 民宿・学校・食堂・郵便局・商店などがならんだ小さな「集落」に出る。

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 ここで,自炊の材料を買い足していく。

 物価は「高い」と相方がいう。

 品物の輸送に金がかかるということだろうか。

 「さしみ」のコーナーが空っぽだったが,聞いてみると「毎日,夕方に入る」とのことであった。

 ちょっと道をまちがえながらも,そのまま西にぬけてヤラスマビーチへ。

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 港の近くの大規模工事には残念な気分だが,工事現場の入り口に「←ザ・ビーチ」という手書きの立て札がある。

 その矢印にしたがって道をすすむと,「西表国立公園」という立派な木の看板に出くわす。

 そこが「ザ・ビーチ」への入り口である。

 お出迎えは,牛やウマ。

 そこにバイクをとめて,浜に出る。

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 北から南まで人っこ一人いない,完全に貸し切りの状態である。

 遠浅の白い海にはサカナの姿がたくさんある。

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 日差しが強く,とてつもなくキレイな海である。

 その向こうに石垣島が見え,さらにその上に明るい青空がひろがっている。

 再びバイクにまたがり,ノンビリと西へもどっていく。

 途中,「ちゅらさんの通学路」だったらしい「シュガーロード」の立て札を発見する。

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 しかし,今は,ここにさとうきびはないようだ。

 2時には,たまたま見つけた喫茶店「ヤシの木」に入って休憩する。

 喫茶店は2時から5時まで閉まると聞いていたのだが。

 パッションフルーツのアイスや,黒糖サンデーなるものを食べる。

 黒糖は独特の香りのある濃厚な甘さである。

 店の中には,ポストカードやTシャツ,巾着袋なども売られている。

 ていねいに飾られた店である。

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 高い電信柱というのか,送電線というのか,それにはさまれた道を走り,

 宿の近くの「海人(うみんちゅ)公園」をクルッとまわって,3時には宿にもどる。

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 ちょっとウトウトしてから,芝生に出て,西日をあびながら「東南アジア史の人」となる。

 「自生的東南アジア」の形成から,ポルトガル・スペインに始まる西欧各国による植民地化へ。

 スペインからアメリカへのフィリピンの「譲渡」以後の植民地「再分割」。

 「アジア解放」をかかげた新たな侵略者としての日本の侵出。

 これらの歴史に懸命に対応していく各国・各民族の努力。

 「支配されているわれわれ」という「国民」意識の形成と,独立へむけた様々な組織の発生。

 日本の敗北をきっかけとした「独立」の探究とそのための新たな戦争。

 植民地体制を維持しようとするイギリスの戦略と,

 東西「冷戦」のもとで「西側の一員」にこれを取り込もうとするアメリカの戦略。

 いままでは日本の侵略とのかかわりで東南アジアをながめてきたが,

 逆に東南アジアの歴史の中に日本とのかかわりを位置づけていく目が少しずつ立ち上がってくる。

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 6時から夕食である。

 食事は宿にたのむと,いつも外のテラスで食べることになる。

 それぞれ「女1人旅です」という若い女性2人と,ポツポツしゃべりながら食べていく。

 お1人は「小浜島は4度目」という。

 25センチほどもある大きなメバルが,からあげにされて,甘辛いつゆにつけられている。

 揚げ出し豆腐のサカナ版という感じの料理である。

 他にも,モチのように粘りのあるジーマミー豆腐,大きなナーベラ(へちま)の炒めものなどがある。

 あたたかい泡盛で食べていく。

 7時半には,今夜もブラブラ散歩をしてみる。

 夜はだんだん冷えてくる。

 部屋のテレビで「海筋肉王」をながめ,さらにビデオで「エバーアフター」を見る。

 「その後,(2人は)末永く(幸福にくらしました)」からとられたタイトルなのだろうか。

 シンデレラのハッピーエンド型の「新しい解釈」というヤツである。

 グリムの「残酷な真実」よりは,見ていて気がラクであった。

 夕食時から雲がひろがっていたが,夜にはそれが雨になる。

 そして,布団に入ったころには雷雨となる。

 バリバリバリ,ドッヒャ~ンと雷が落ちている。

 相当に強烈な音である。

 まあ,そんな日もあるわなと,何度も目を覚ましながら,眠りにつく。

 1時ころには,寝たのだろう。 

 

 〔23日〕……荒れる天気も自然のひとつ。

 今朝は10時の起床であった。

 世間はしっかりと風雨である。

 コーヒーを飲みながら,まずはHPを書いていく。

 11時,部屋の掃除の時間となる。

 パソコンをかかえて,テラスにいったん退避する。

 雨はあがってきたが,目の前の海の色が,いつもよりずっと暗い。

 北の方には,白い波も見えている。

 11時30分,部屋にもどって自炊の態勢に入る。

 ガスではなく電磁調理器が1台あるだけ。

 いささかやりづらいが,それでも昨日と同じゴーヤポーク玉子チャンプルーをつくっていく。

 ただし,今日の主食はパンである。

 2時,外に出ることにする。

 かなり風が強い。

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 強風の中をバイクで走って,2時20分には喫茶店「ヤシの木」に到着。

 今日は温かい「黒糖オーレ」を飲んでみる。

 この島でつくった黒糖である。

 甘さにねっとりとした力がある。

 しばらく「東南アジア史の人」となる。

 戦後の独立にむけた各国の闘い,いわゆる経済「開発独裁」の政治。

 ベトナム等の独立への闘いと,ソ連型の社会主義建設から「ドイモイ」への転換。

 76年のASEAN結成から95年のベトナムの加盟へ。

 そこには「冷戦」体制からの東南アジアの脱却の過程がある。

 店を出て,2軒ほど店をまわって,食材を買う。

 4時すぎには,宿にもどる。

 岸壁は,風にむかってからだを倒さねば立っていられないほどの風である。

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 そんな中を,小学校にあがる前の子どもが,笑いながら走りまわっている。

 なんとも,たくましいものである。

 ビデオで「ドクター・ドリトル2」を見る。

 動物と会話のできるドリトル先生が,絶滅に瀕しているクマ同士を「結婚」させて,

 「開発」の危機にさらされた森林全体をまもるというお話。

 他愛ないといってしまえばそれまでだが,とても愉快な話である。

 山にいるうちに動物の言葉がわかるようになってしまった長女は,この後,どういう運命をたどるのか。

 いささか気になるところである。

 6時30分,今夜は焼肉である。

 キッチンにホットプレートを発見したときから,たくらんでいたものである。

 たまねぎやらゴーヤやらの野菜は,先に湯がいておく。

 外は雨のようだが,こちらはビールをあけて,アツアツをガツガツと食っていく。

 ビールはもちろんオリオンである。

 新聞やテレビを見ていると,明らかに平和問題の位置づけが「本土」とは違う。

 新聞には政府が発表した「防衛計画大綱」の全文が,1面すべてをつかって書かれているし,

 テレビでも60年前の沖縄爆撃や,「シリーズ非戦」といったものがくり返し取り上げられている。

 昨年の沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落の扱いの落差を思い出す。

 「ヘキサゴン」「トリビア」と,そのままテレビをながめていく。

 明日からは,全国各地の子どもが「ニャホニャホタマクロー」と,歌うことになりそうである。

 これはガーナサッカー協会会長のフルネームなのだが。

 ビデオで「ダブル・ジョパティ」を見る。

 陰謀で「夫殺し」の罪をきせられ投獄された妻が,6年後に仮釈放され,犯人の夫に復讐をはたすという物語。

 外に出てみるが,雨はやんでも,雲があつく,今夜も星はまるで見えない。

 1度,ここの天の川を見てみたいのだが。

 夜「東南アジア史の人」となり,1時には眠りにつく。

 桐山・栗原・根本著『東南アジアの歴史--人・物・文化の交流史』(有斐閣アルマ,2003年)を読み終える。

 東南アジア世界の形成,西欧による植民地化と独立,戦後おける新しいナショナリズムの形成と,

 広い文化的共通性をもったこの地域の歴史的変遷が,非常に要領良くまとめられている。

 社会や歴史をとらえる視野も広く,教えられるところの多い本であった。

 

 〔24日〕……「竹富島」で水牛と語る。

 今朝は,10時30分の起床であった。

 シャワーをあびて,こちらで初めてヒゲをそる。

 バリバリバリバリ……,ゾリゾリゾリゾリ……。

 今日は外も晴れている。

 11時すぎには外に出て,バイクでいつものように「集落」へ。

 もう,道はこまかいところも,かなりわかる。

 すでに目をつけておいた食堂「結」へ直行。

 しかし,なんとしたことか,定休日である。

 目的地を失い,心身ともにフラフラするが,すぐに食堂「シーサイド」を発見。

 ここも名前を聞いていたので,ただちに突入。

 「ふーちゃんぷる定食」と「ちゃんぽん丼」を食べる。

 近くでの工事のおっちゃんたちが,昼休みなのでガツガツと食べている。

 それにふさわしい見事なボリュームの食事である。

 こちらも負けずに,ガツガツと食う。

 そのまま東海岸の桟橋へ。

 駐車場にバイクをとめて,12時30分発の船にのる。

 バシン,バシンと波をかきわけ,30分もかからないうちに「石垣島」へ。

 先日の公設市場で食料を買うと,地元のオバアはおまけにマンゴをくれた。

 人なつこいオバアである。

 アクセサリーなどの土産屋にも入り,コンビニ「シーサー」にも立ち寄っていく。

 1時30分には,再び桟橋から船で出発。

 今度の行き先は「竹富島」である。

 10分ちょいでの到着である。

 近い。

 ここは往復する人が多く,船も15分に1本くらいは出ているようである。

 周囲9.2キロ,人口300人と,この島は「小浜島」よりさらに小さい。

 バスのむかえはあったが,それには乗らず,地図を見ながら,ブラリブラリと歩いてみる。

 ここにも「人頭税廃止100年記念の碑」が立っている。

 100年記念の催しがいかに大きなものであったかがわかる。

 歴史の苦難を忘れてはならないという文句に,今日の消費税フタケタ増税への動きがダブッて来る。

 道路脇では「でいご」の木が赤い花をさかせつつある。

 この島のほとんどは,サンゴ礁が隆起して出来たものだという。

 そうなるなると,やはり農業にはむかないのだろう。

 ウシは何頭か見たが,畑や田んぼは見なかった。

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 古くからの建物の「保存地区」になっている集落の端をつっきって,まっすぐに反対側のビーチへ向かう。

 途中,舗装されない道の両側には,うっそうとした草木がひろがり,一部には「大昔の森のようす」も残っていた。

 家々の石垣には,ハイビスカスの花もキレイに咲いている。

 桟橋から1時間もかからないうちに,お目当ての「コンドイビーチ」に到着する。

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 案内には「7色の海」とあったが,これがまた,本当である。

 おお,これはすごい。びっくり仰天。

 もう少し日差しが強ければ,きっともっと,コントラストがつくのだろう。

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 沖の濃紺から手前のサンゴ礁の真っ白まで,海の色がいくつにも別れている。

 もちろん,砂浜はすべてサンゴの白である。

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 しばし,海をながめたのち,ゆっくりと集落へ向かう。

 この島は,ずいぶん観光化が進んでいる。

 今日も1日で2000人の客が入っているらしい。

 そして,2~3日後からは,もっと観光客が増えるのだという。

 マイクロバスがひっきりなしに走り,大きな水牛が引く「観光牛車」も満員である。

 キレイな砂浜に降り立ちもしないたくさんの客の姿をみていると,どこか複雑な気分になる。

 サンゴを積んだように見える石垣にかこまれた,赤茶色の瓦の家なみは,とてもキレイである。

 木製であることが電柱の違和感を小さくしている。

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 3時30分には,デジカメの電池が切れてしまう。

 コンビニ「シーサー」で買っておいた電池を入れるが,これでは動かず。

 「シーサー」にはこの1種類しかなかったのである。

 「観光牛車」の出撃拠点となっている,にぎやか売店に「アルカリ電池」を発見し,ようやく問題を解決する。

 「人が多いとしんどいな」と話している「牛車」運転士(?)の脇で,写真を1枚とらせてもらう。

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 これだけ大量の人をのせて,休む間もなく歩くのだから,いかに立派なウシといえどもたいへんである。

 4時前には,茶屋「たかにゃ」に入る。

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 お目当ての民芸喫茶は,やはり定休日であった。

 食堂「結」もそうだったが,木曜が定休であるというのには何か理由があるのだろうか。

 南の果物のジュースを飲んで,ひと心地つく。

 お茶うけにと,黒糖が出てくる。

 4時30分には,島の東の桟橋にもどる。

 コインロッカーから荷物を出して,4時45分には「竹富島」を出発する。

 今度は「小浜島」への直行である。

 バシャン,ドシャンと波をこえながら,海の上を進んでいく。

 5時すぎには「小浜島」に到着。

 とめておいたバイクで,ただちに「集落」へと向かっていく。

 「夕方に刺身が入る」と聞いていた店を目指す。

 おお,あった。

 1パックの量がハンパじゃない。

 500円で,おそらく「よこわ」であろうと思われるサカナがたっぷり買える。

 ほかには,イカとつぶのような貝があった。

 種類がそれほど多くないのは,地元の人には,それで十分だからということだろうか。

 夕方になって,どんどん気温がさがって来る。

 5時30分には宿に到着。

 空には,やはり雲がひろがり,今夜も夕陽は見ることができなかった。

 HPを書いていく。

 6時30分には,自炊夕食の時間とする。

 石垣の公設市場で買った材料をひろげ,海ぶどう丼,ジーマミー豆腐,さしみ,味噌汁とする。

 もちろん,泡盛のお湯割りも。

 アホアホテレビをながめたあとで,ビデオ「少林サッカー」を見る。

 ストーリーはどうでもいいという映画であった。

 しかし,勧善懲悪のハッピーエンドであり,CGのすごさはあるから,まあそれなりにといったところである。

 気温が下がってくると,部屋に湯船がないのが残念になる。

 ここは,シャワーしかないのである。

 夜「戦後アジア政治史の人」となる。

 1時30分には,眠りについた。

 鈴木峻『東南アジアの経済と歴史』(日本経済評論社,2002年)を読み終える。

 住金のビジネスマンとしてアジアを担当した経歴にふさわしく,

 日本企業とアジア経済のかかわりがミクロの視角から語られていく。

 プラザ合意を契機としたタイ,マレーシアへの日本企業の進出は,アメリカ向けの「迂回生産」であり,

 東南アジア諸国間の輸出入は,少なからず日本企業による企業内ネットワークにすぎない等。

 「アジア経済圏」については,ブロック経済に通じるから反対という立場であった。

 

〔25日〕……「大潮」の海でモズクと闘う。

 10時すぎの起床である。

 今日もはっきりしない天気である。

 コーヒーを飲みながらHPをつくり,昼はスパゲティを食べていく。

 トマト・しめじ・たまねぎなどに,チャンプルー用コンピーフというのが放りこまれていた。

 こちらで手に入れた缶詰である。

 聞けば,今日は「大潮」である。

 潮がひいて,海が沖へと大きく下がっていく日である。

 1時30分がピークであり,「もずく」を採るには絶好の日らしい。

 さっそく浜へでてみることにする。

 おお,確かに,朝まで海だったところに,ゴツゴツした岩がたくさんむきだしになっている。

 これは驚きである。

 

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 「もずく」の採り方を教えてもらい,サンダルをはいて,ジャバジャバと海に入ってみる。

 ちょっと太陽が顔を出すと,ポカポカとしていい気分である。

 まず海に発見したのは,潮にとりのこされた小さなサカナ。

 いわゆる熱帯魚風の極彩色のサカナであった。

 つづいて登場したのは,細長く黒いヒトデである。

 

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 ヘニョヘニョと,良くがんばって動いていた。

 カイワレによく似た海草も,地面のあちこちに植わっている。

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 しばらく行くと「もずく」である。

 手にとってみると,そのヌメリ具合で良く分かる。

 「根っこから引き抜くのだ」と教えられてきた。

 引き抜いてみると,色はうすいが,たしかに「もずく」である。

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 食卓にあがったときの,あの鮮やかな色は,湯どおしをすることで得られるらしい。

 面白いので採っていく。

 調子に乗って採っていく。

 すぐにスーパーのビニール袋がふくらんでいく。

 それにしても,まわりを眺めると,ずいぶん遠くまで潮が引いている。

 ミニ「自然の驚異」である。

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 バシャバシャと浜にもどる途中,黒いナマコ2匹に出くわす。

 しっかりと地べたにはりつき,足でつついても身じろぎひとつしない。

 「オレ,絶対にナマコじゃないから」という頑固なポーズが,今日までの生存の条件だったのだろう。

 ひっぺがしても,ナマコは地べたのサンゴを手放さなかった。

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 部屋にもどって,こちらがシャワーをあびているあいだに,相方が「もずく」を処理していく。

 まずは,食べられる部分を残して茎をとり,

 次に,鍋に放りこんで湯にとおしていく。

 その湯通しのあいだに,カニカニ小ガニがいくつも浮いてきたらしい。

 そして,これを水で洗うと,もう食べられる。

 色は,湯に放りこんだ瞬間に,見慣れたミドリに変わったという。

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 3時30分,ヤマハが島の南東部につくっている大きなリゾート施設「はいむるぶし」を冷やかしにいくことにする。

 そとに出てみると,宿の前の海は,もうグッともとにもどっていた。

 まったくもってスゴイものである。

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 「はいむるぶし」への道は,いつもの「集落」への道を途中で南に折れるもの。

 バイクでこの道をいくのは初めてである。

 いつもとは違う光景が,なんだか嬉しい。

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 やはり,この島は全体として,人より黒いウシが多いようである。

 「はいむるぶし」とは,こちらの言葉で「南十字星」のことだという。

 バイクで中に入り,フロントに声をかけて,カートを借りることにする。

 「施設が大きいので,グルリとまわるのにカートがいる」というのである。

 当たり前だが,よく整えられた施設である。

 池があり,目つきのわるいアヒル族がおり,水牛がつながれている。

 水牛は,「竹富島」の牛車を引退してきたものかも知れない。

 小さなゴルフコースがあり,もちろんビーチもある。

 しかし,建物の多くは宿泊用のコテージであり,カートは30分で返却となる。

 せっかくの自然に,いささか手が入りすぎている気がする。

 施設内の喫茶店に入り,黒糖ケーキを黒糖ロイヤルミルクティで食べていく。

 しばし読書の時間である。

 フロントを見ていると,ひっきりなしにツアーのお客さんが到着している。

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 6時すぎには,宿にもどる。

 この時間になると,少し寒い。

 テレビをつけると,四国に雪が降ったといっている。

 そうだとすると,こちらも,これくらいの寒さは仕方がないのえも知れない。

 新しいお客さんが何人か来ている。

 夕食の準備に入るが,昼に採った「もずく」のぬめりが,まったくとれない。

 宿の人に聞いてみると,「お湯で煮すぎたから」「サッと,くぐらせるだけで良かったのに」とのことである。

 対処法としては「ただただ洗うしかない」らしい。

 いわれたように洗ってみるが,これがなかなか大変である。

 量が多すぎるということもあるのだろう。

 しばらく,めんつゆで食べたのち,はげしく洗ったものは「味噌汁」に放りこんでみた。

 食後は,ビデオ「評決のとき」を見る。

 テープの外側に貼り付けられたタイトルは「K-19」で,

 中をみていくと画面のタイトルは「スリーパーズ」,

 しかし始まった映画は「評決のとき」という,スーパーどんでん返しのテープであった。

 アメリカ南部に根深く残る黒人差別との闘いが基本のテーマ。

 最終的には,すべてが主人公である若手弁護士に都合良くすすむところが,なんともいえずアメリカ的。

 深刻な差別問題そのものまでが,「しょせんは映画のなかのお話」といった具合に受け取られないかと,

 見ていてちょっと不安になる。

 夜,外に出てみると,満月であった。

 雲のほかに,この満月の光もジャマになって,見える星の数は3つか4つ。

 残念である。

 「はいむるぶし」で買っておいた,「日本最南端の清酒・黎明」というのを飲んでみる。

 沖縄本島でつくられているものらしい。

 やや甘いが,口に粘らず,すっきり飲める。

 1時半には寝たようである。

 西川吉光『増補版・戦後アジアの国際関係』(晃洋書房,1998年)を読み終える。

 東南アジアだけでなく,ソ連・中国・インドまで視野にふくめた戦後国際政治の歴史である。

 防衛庁の職員だったという著者の経歴にふさわしいリアリティがある。

 同時に,問題の整理については,歴史の全体をあまりに東西冷戦に還元しすぎていないかというところが気にもなる。

 東西両大国の支配との闘いの中から,その枠組みを乗り越えるものとして,

 非同盟中立の取り組みは,曲折をへながらも育ってきたのではなかったか。

 

〔26日〕……マングローブの森でムツゴロウ(?)に出会う。

 10時30分の起床であった。

 朝はボケボケと時間をすごし,シャワーをあびて,HPを書く。

 昼食は,冷蔵庫の残り物をすべて一挙にやっつける,「なんでも鉄板焼き飯」とした。

 鉄板が小さいので,焼くはしからゴハンがポロポロ落ちていく。

 1時30分には,外に出る。

 今日は,ちょっとだけ天気がいい。

 まずは近くの海人公園へ。

 巨大なマンタの像をチラリと眺める。

 デジカメの画面には,またしても「電池の残量が少ない」とのメッセージが出る。

 問題の基本は,あまりにも撮影量が多いところにあるようだ。

 「集落」のいつもの商店に直行し,赤ペンとともにアルカリ電池をゲットする。

 とって返して,マングローブの浜へ。

 これは,西表島から流れ着いてドンドン育ったものと,どこかの何かで読んだ気がする。

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 海水中からのびる木で,固い岩から出ているものもたくさんある。

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 小さなものもあちこちにあり,森全体が成長の過程にあることが良くわかる。

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 水たまりにはムツゴロウ(?)もいた。

 どれもこれも5~6センチの小さなものばかり。

 警戒心が強くは見えない。

 ここには天敵がいないということだろうか。

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 ほう,へえと,目にするもののあれこれに感心しながら,そこらじゅうを歩いてみる。

 バイクにもどると,どうやら相方のバイクが「ガス欠」らしい。

 「集落」にもどり,1リットルだけガソリンを入れる。

 そのまま,気になっていた,近くのお土産屋にも寄ってみる。

 店番のオジイが,商品の値段の1つ1つを,手書きの一覧表でしっかり確かめて,合計してくれた。

 ノンビリとした空気の流れる島である。

 喫茶店「ヤシの木」に入る。

 「ちゅらさん」以前からある「有名店」は,ここだけらしい。

 「結」は「ちゅらさん」以後,「シーサイド」も「ちゅらさん」開始のころらしい。

 例によって「黒糖サンデー」を食べながら,本をひらいて時間をすごす。

 外には,年代のことなる子どもたちが,ケンカをしたり,ジャレあったり。

 本土の古き時代が,ここにはある。

 4時には,桟橋の「小浜島総合案内所」にバイクを返す。

 時間切れなのである。

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 しばらく船の待合所で本を読み,5時には乗り合いタクシーに乗って,宿へともどる。

 タクシーのお客は3組。

 まずは「集落」にとまり,次に「はいむるぶし」にとまり,そして最後に宿まで送ってくれた。

 1人400円の乗車賃であった。

 6時から夕食となる。

 部屋の食材は食べ尽くしたので,今夜は宿にお願いしていた。

 いつも沖縄料理なのだろうと思っていたら,今夜は立派な洋食だった。

 「大阪から来ました」という他のお客さんとしゃべりながら,

 石垣牛をおいしく食べているところへ,ザーッと雨が降る。

 たくさんのすずめが,雨宿りにテラスの中へ入ってくる。

 その下で,タイ・カレーを食べ,パインのシャーベット泡盛かけを食べていく。

 食後しばらく,オーナーさんと話をする。

 目の前の海をいく漁船を操縦しているのは,小学5年生の子どもであった。

 夕方に網をいれ,朝には網をあげる。

 これを,この5年生の子どもが毎日やっているのだそうだ。

 本人はこれが学校での「自慢」らしい。

 たくましくも,愉快なことだ。

 海からオレンジ色の満月があがる話,三日月が西表島にしっぽを引いて沈む話。

 夜光虫がキラキラ光る夜の海に浮かんで見上げる,星や月のすばらしさなど。

 「内地」(本土)からくる「お嫁さん」のことは,「やまと嫁」というらしい。

 この数日の低い気温は,真冬にもめったにないほどのものだったという。

 こんな寒い日が3日もつづけば,干潮の時には,海にサカナが浮くのだそうだ。

 あまりの寒さで「仮死状態」になって。

 世の中というのは,いろんなことが起こるものである。

 風がつめたくなってきたので,8時には部屋に入っていく。

 ゆっくり泡盛をなめながら,HPをまとめていく。

 夜は,ビデオ「シックス・センス」を見る。

 何にひかれるのかは,良くわからないが,もう3~4回目である。

 外はまっくらで,月も星もダメ。

 キッキッキッキッ……という,いつもの鳴き声がいやに大きいと思ったら,

 開けっ放しの窓から,トッケイが冷蔵庫の裏に入っていた。

 2時30分には寝たらしい。

 今川瑛一『アメリカ大統領の中東・アジア政策』(亜紀書房,2001年)を読み終える。

 軍事問題を中心に,戦後アメリカの外交戦略がコンパクトに語られる。

 著者は長くアジア経済研究所につとめていた,特に東南アジア問題の専門家である。

 経済については,財政・貿易が多少登場する程度で,金融はほとんどふれられていない。

 戦後史をまとめて見ると,アジアにおけるアメリカの軍事的・政治的影響力の後退は明白。

 タイやフィリピンで余儀なくされた米軍基地撤去が,残された韓国と日本の比重をより重いものにしている。

 特に90年代半ば以降,日本には対中東政策の拠点という新しい役割が与えられる。

 それは最近の日本経団連が「シーレーン防衛」を「死活の利益」と位置づけたことにも合致する。 

 

〔27日〕……八重山から大阪へ。

 今朝の起床は9時30分である。

 ただちにシャワーへとびこみ,そして,10時には荷物をもって部屋を出る。

 その気になれば,すばやく動くこともできるのである。

 しばし,テラスで時間をつぶす。

 船の時間を待つのである。

 今朝は南から北へと,目の前の潮が動いている。

 西表島は,上半分がモヤっている。

 シトシトと雨でも降っているのだろうか。

 ダンボール箱を「ゆうパック」の着払いでお願いして,この1週間の清算をすませる。

 そして,11時前には宿のクルマに乗り込んでいく。

 バイクに乗って何度も走った道の途中に,たくさんのウシがおり,ウマがいる。

 なぜかその脇には,かなりの比率で白いとりが寄り添っている。

 動物たちのからだについた,虫を食べるなどしているのだろうか。

 桟橋で宿のスタッフさんとお別れする。

 11時10分発の船に乗る。

 これにて「小浜島」ともお別れである。

 船は「竹富島」の南をグルリとまわって,進んでいく。

 今日は,波はあまりないようである。

 30分ほどで「石垣島」に着き,桟橋前の釣り具屋さんで,「潮見表」というのを相方が買う。

 食事をとる場所をもとめてブラブラ歩く。

 初日に入った「南の島」は休みであった。

 2度ほど買い物をした近くの公設市場も休みであった。

 市場の商店街をそのまますすみ,そば専門店を名乗る「真仁屋」という店に入ってみる。

 「専門店」というのは,ようするに「そばしかないゾ」ということだった。

 メニューは3つ。

 「そば」「そば大盛り」「そばセット」と明快である。

 セットにはかやくゴハンがつくらしい。

 「大盛り」2つを注文する。

 もちろん八重山そばである。

 どこか香ばしい味わいがするスープである。

 土産屋を少しながめて,12時40分には空港へ。

 搭乗手続をすませて,持ち物検査をとおる。

 小さな待合室は,すでに一杯となっていた。

 1時05分には「石垣島」を離陸。

 来るときと同じ,130人ほどが乗れる737である。

 これにて,「小浜島隠遁生活」は名残惜しくも終了である。

 機内「東南アジア史の人」となる。

 3時半には,あっというまに大阪に。

 空から見る大阪の海は,2時間前に見た八重山の海とはまったく違ってドンヨリしている。

 タイミング良くやってきた空港バスに乗り,大きな窓から高速道路や港や工場などをながめていく。

 圧倒的にコンクリート色の街ではあるが,

 それでも,「まいど」「この味30年」などの大阪らしい看板を見つけるたびに,どこかホッとするところもある。

 空港バスをJR「尼崎」で降り,そのままJR「加島」へもどる。

 コンビニに寄って,5時には帰宅。

 エアコンつけっぱなし(切り忘れ)のわが家には,なにかのニオイがたまっていた。

 FAXが1本,留守電が1本,7~8冊の古本や雑誌,同じくらいの封書たち,1週間分の数種の新聞,

 そして開いてみるとメールが117通あった。

 現代は圧倒的にメール連絡の社会となっているようである。

 わがHPをクリックする,なんとしたことか「リクエストされたURLが見つかりませんでした」と出てきてしまう。

 つまり,ネットの世界からなくなっているらしい。

 ありゃ,どうなっているのか。

 さっそく,このページの「更新」作業に入り,プロバイダーにもメールを1本。

 今日は,このまま夜までボケボケして,そしていつものように酒をあおり,

 最後には「仕事がいやだ」とつぶやきながら,眠りについていくのであろう。