2006年4月4日(火)……いきなり電車ストップの新年度である。

 夕べは,2時間集中活動の成果があってか,相方の「生誕記念の儀」をつつがなく終えることができた。

 1時半就寝,8時半起床の朝であった。

 メールをチェックし,「東西線がとまっている」との連絡を受ける。

 なんとまあ。グルトとお茶でシャワーをあび,ただちに外にとび出してみる。

 やはり,タクシーも出払っている。おお,なんてこった。

 仕方なく駅に入ってみると,電車がホームにジッとしている。

 それでも「青信号になれば動く」と,期待をもさたせるアナウンスがある。

 他に手もないので,運を天にまかせて座席に座る。

 結局,フラリ,フラリと電車は動き,10時からの入学式にヘッドスライディングで滑り込み。

 見事なギリギリセーフの初日であった。

 11時には入学式を終え,事務室で書類を受け取り,研究室のかたづけをする。

 もう使うことがないだろう雑誌を整理し,本棚のあちこちに新たな空間をつくっていく。

 途中,「あるべき美しき本棚」を夢想しながら,駅のホームで買ったオニギリを立ち食いする。

 そういえば,入学式に出席されたご家族のみなさんの流れの中で,卒業生F田さんとバッタリでくわす。

 「なんで?」「妹が入学するので」「今日は仕事が休みなんです」とのことである。

 おお,なつかしや,なつかしや。

 きれいに咲き始めた,桜の下での出会いである。

 研究室にもどり,わがブログをひらくと,カウンターとワル写真がはまっている。

 「IT秘書」を肩書とするI本さんのおかげである。

 さっそく,ありがたや,ありがたやとお礼のメールを打っていく。

 いくつかの書類をあちこちに提出し,民主党の前原執行部総辞職関連のニュースをながめていく。

 新聞インタビューの準備である。

 取材してくださった記者さんは,立命時代の3つ下の後輩らしい。

 しかし,きっと卒業は先だったはず。

 ふりかえれば,あまりに長い学生時代であった。

 6時前には「東アジア原稿の人」となり,ようやく最後まで書き上げる。

 まだ少し調整が必要だが,週末には確実にガッシンできる。

 「今号は10人のうち6にがすでに書き上げている」

 「残り4人の全員が『最後の1人にはならない』といいあっている」。

 これで,こちらが「最後の1人」となることは回避される模様である。

 8時すぎには,大学を出る。

 雨がふっているとは知らなかった。

 車中「瀬島の人」となり,8時半には自宅にもどる。

 カレーと玉子豆腐の夕食をとり,昨日の「紳助」をビデオでながめる。

 明日もまた,わが生活リズムにとっては,大変「早起き」の朝となる。