2006年4月6日(木)……悲しきヒーロー力道山。

 小仕事を4時までつづけ,11時起床の朝であった。

 メールを開くと,「人間発達」ゲラが届いている。

 「ゲラがこないが」と連絡したのに対し,先方がPDFで届けてくれた。

 なるほど便利な世の中である。

 しかし,今日は仕事はしない。

 パソコンのスイッチを切って,シャワーをあびる。

 12時すぎには,納豆たまごゴハンと各種増強味噌汁をとる。

 万が一空き時間ができたときのために1冊だけ本をもって外に出る。 

 1時すぎの出陣である。

 相方とともにシエ造号で,一路,大阪南部へ突進する。

 通天閣を横にチラリと見上げ,「動物園前」のフェスティバル・ゲートにクルマをとめる。

 いつのまにやら,ここの遊園地は営業終了のようである。

 この不景気の世の中,こうした商売は大変だろう。

 2Fに「大阪プロレス」が,しぶとく生き残っているのがさいわいである。

 7Fのシネ・フェスタに初めてあがる。

 スクリーンが4つもならぶ,それなりに大きな映画館である。

 ただし,この時間の客の姿は20人ほど。

 やはり経営は大変そう。

 今日のお目当ては「力道山」。

 中身は,以前に読んだ『東京アンダーワールド』の世界であった。

 戦時中,「内鮮一体」のたてまえのもと,朝鮮人への過酷な差別が行なわれる。

 戦後,相撲の世界では出世を阻まれ,自分が生まれた国は朝鮮戦争。

 生き方に苦しむ中,4ケ月もかかって届いた手紙には,母の死亡が記されていた。

 相撲に見切りをつけて,アメリカに渡り,ようやく天職のプロレスと出会う。

 しかし,日本での興行はすべてヤクザに牛耳られた。

 「強いものはだれもが孤独だ」と,そう語る生きざまが痛々しい。

 時代の激動に翻弄されながら,一つの時代をつくった人である。

 わが学生たちは,おそらく名前も知らないだろう。

 亡くなってすでに40年もの時間がたっている。

 米軍による占領が終わったばかりの時期に,アメリカの巨人レスラーたちをなぎたおし,街頭テレビに国民の目を釘付けにした,じつは朝鮮人の「日本人ヒーロー」である。

 2時間半の映画を見終え,クルマで尼崎へもどっていく。

 駅前の「ミドリ電化」にクルマをとめ,スーパー「オアシス」で買い物をする。

 入り口では,もちや野菜など,何か特別の安売りが行なわれていた。

 「ミドリ」にもどり,スーパーの袋をぶら下げたまま,照明コーナーを歩いていく。

 わが家の中のわが居場所を,挟撃の3畳間から,6畳の本棚部屋へ移すためである。

 部屋の外枠は広くなるが,自由に動けるスペースはドッコイか。

 とりあえず,仕事に耐える照明を,6畳間につり下げようとのたくらみである。

 家にもどり,夕食開始は7時となった。

 郵便物には,2つの雑誌社からの「これを読め」資料封筒がまじっていた。

 見なかったことにして,メシを食う。

 よいこ浜口のすもぐり漁労人生をながめ,新聞をめくり,8時すぎにはウトウトする。

 9時には再び立ち上がり,明日のためにカレーをつくる。

 明日は,「グチるIT人」I本さんが来てくれるのである。

 朝から,「ミドリ電化」で待ち合わせ,その後,我が家にミニIT革命がおこるはず。

 もっとも,世間の波には,かなり遅れているらしい。

 夜は,中国残留孤児問題に取り組むF田アル○弁護士と会う。

 絵に描いたように貧乏な20代の後半に,互いに赤貧洗いあった仲である。

 980円で買えた「白波」の一升瓶が,いつも洗いあいの真ん中にあった。

 楽しみの多い1日である。