連休2日目,4月30日の人生である。

 1)マルクスの人口法則に関する論文を1本読むが,マルクスの解釈としても,現代の人口減少との関係についても,趣旨がうまく伝わらない。

 こちらのアタマがアホなのだろうか。(7-3)で,そうではあるまいと見込んでペンをおく。

 2)京都へ向かう途中,打ち出した「講演本原稿」を眺めてみる。原稿の冒頭ほど完結でしまりがあり,先に進むほど冗長になる。

 いつものことだが情けない。

 しかも,先には前との重複もある。人間ただ書きなぐればいいってものではないということである。

 なんとか連休中には完成させたい。次がつかえているのだから。

 3)京都学習協で「青年のための経済学」といったテーマでしゃべる。1時から5時の4時間もの。

 「青年のための」というタイトルには,①勉強をはじめたばかりの人のための「入門的な」という意味があり,それが,他方では,②古い議論を知らない人へのという意味にもなる。

 ②の事情は,「最新の議論」を,ストレートに紹介することかできるということでもあるので気楽である。

 とはいえ,価値論から歴史の中の資本主義まで,あれこれ短時間でしゃべりきるのは大変である。

 しかも,さらに「その後」の議論があるので,これの補足にも時間がかかる。

 感想文の結果はどうか。

 4)終了後,夏からの京都での講座について話し合う。

 「社会保障とマルクスでどうか」ともいわれるが,現在の能力では講座にはできない。

 秋にはまるで別のテーマでの本づくりも,せねばならない。

 結局は,当面の自分の研究テーマがらみのものに落ち着いていく。確定〆切は5月末である。

 5)そういえば,朝のうちに,神戸での講座についても依頼が来ていた。

 こちらは対米関係,対東アジア関係のネタらしい。

 「メールがうまくいかない」とのことで,とりあえずはFAXを待つ。

 6)事務所で6時半までおしゃべりをして,四条大宮で手にいれた新書本を読みながら大阪へもどる。

 手に入らないのだと思っていたら,しっかと平積みになっていた。

 「人は3ケ月もあればよくも悪くも変わる」というのは学生時代からの持論だが,今回は「悪く」よりも「軽く」であろうか。

 人は短期間で,こうまで「軽く」なってしまうこともあるわけだ。

 なんだか悲しいほどに痛々しい。

 7)十三の回転寿司のテイクアウトが,「お好みの品をテイクアウト」にという方式に刷新されているのを発見。

 ただちに引き寄せられてしまう。「一皿いくら」の明朗会計。じつに結構なことである。

 8)気がつけば,この連休の予定は,これといって何もない。

 原稿に区切りがついて,そして,ボケボケ散歩の時間でもあれば,それで満足となりそうである。

 まあ,心身ともにノンビリの時間確保が目標か。