今日の行き先は家から近いので,「余裕だな」と思って出るが,JR「海老江」で降りる予定が,なぜか「御幣島」で降りてしまう。

 車中「靖国にまつわる日米政治家の動きに夢中の人」となってしまった結果である。

 再び電車に乗りこみ,今度は「海老江」から「あわててスタコラ早歩きの人」となっていく。

 今日の会場は「大阪NPOプラザ」。

 催しは「ふくしま9条の会」結成のつどいであった。

 1時から,すでにいろいろな企画が行なわれている。

 すべり込みセーフで会場につき,予定どおり1時35分からしゃべらせてもらう。

 ①自民党の「新憲法草案」の問題点,②若い世代への近現代史教育の欠落,

 ③アメリカ占領下での平和憲法の制定,④占領政策の転換とヒロヒトの活用,岸信介の解放,

 ⑤財界からの靖国「障害」発言,「ポスト小泉」の右往左往,小泉訪米へのアメリカの注文,

 ⑥「慰安婦」問題を学んだ学生たちの実践,

 ⑦6月10日の全国交流集会など,9条の会の急速な成長についても。

 「竹中平蔵は大学でどんな教育をしていたのか」との質問がある。

 「新憲法草案」や「たたき台」が,個人の自由や権利,生存権を切り捨てるものになっていることに関連してのことである。

 大学での様子は知らないが,「社会保障はたかり」「失業は本人が役に立たないから」など,人権思想以前の言葉がならぶ著書の内容を紹介する。

 3時には予定どおり終了である。

 しかし,終了挨拶のあと,主催者側の年輩男性から手があがる。

 マイクを握り,語られたのは「われわれの世代が戦争の加害責任をあいまいにしてきた」「二度とそれを繰り返さないように」という力のこもった決意であった。

 明らかに戦中世代の方であり,「われわれの世代」という言葉に,胸にズシリと重く響くものがある。

 参加者は全部で97人。

 帰り際,例によって『「慰安婦」と出会った女子大生たち』に,何冊かサインをさせてもらう。

 サインをしながら,ある女性から「子どものころ,沖縄にいました」「近くに『慰安所』がありました」

 「いつもは遊びにいってましたが,『明日は遊んじゃいけない』と親にいわれると,翌日,兵隊たちがズラリとならんでいるのでした」

 「あとには,たくさん風船が落ちていて,それをふくらませて遊びました」と聞かせていただく。

 「風船」は,もちろんコンドームのこと。

 「朝鮮ピー」という言葉も聞く。

 残虐な加害の歴史は,いまを生きる日本人の記憶にも,いろんな形で残っている。