いつものようにメールをチェックし,納豆玉子かけゴハンと各種増強味噌汁をとる。

 シャワーをあびて,授業の準備を終え,2時をまわったところで外に出る。

 2時55分から「比較経済論-いきあたりばったのブッシュ財政」,4時35分から「女性学(実践編)-働かなければ食べていけない」である。

 さて,おどろいたのは2つの授業のあいだの時間。

 「比較経済論」を終えたところで,学生が質問にやってくる。「経済学を学ぶためのテキストは……」。

 学生らしいまっとうな話しが終わったところで,唐突な一声。

 「先生は淡路の『T丸のオジサン』をご存じですか?」。

 「は? えっ? T丸? オジサン?」。一瞬大混乱である。

 「T丸という人は知ってるけど,オジサンって,きみアイツの親戚?」。

 「いいえ,ちがいます」

 聞いてみると,立命館大学産業社会学部76年入学組の3人「仲良し」関係が今もつづき,彼女はその3人組の1人の娘だという。

 そして,彼女は小さい頃から父と一緒に何度も会ったT丸を,「T丸のオジサン」と呼んで育ったらしい。

 大学の学年は1つ下だが,年齢は確か一緒であり,すごした時代の空気ももちろん同じ。

 あらくれと貧乏と空腹と情熱が渦巻いた時代であり,空間であった。

 その後,なぜか教師となった(人のことは言えんが)T丸とは,15年に1回くらい事故のように会い,5年に1回くらい突発的に数度のメールのやりとりをした。

 それにしても世間というのは狭いものである。

 T丸をオジサンと呼ぶ人間が,学生として本学にまぎれているとは。

 混乱したアタマの整理をしながら事務室にもどり,お茶を立ち飲みしていると,ある職員さんが雑誌の「パッション・パピー」の広告記事を見せてくれる。

 去年卒業したばかりのゼミ生が出した店だが,こうして少しでも注目していただけるのはありがたい。

 授業終了後,「人口論文」初稿に対する編集部の感想を「ふ~む」とながめ,掲載する図表の整理をやっていく。

 今夜も9時ちょうどの大学脱出とあいなった。