2時から館内でビデオ「私たちは忘れない」を見る。

 「忘れない」とされているのは,戦死者たちへの「感謝と祈りと誇り」である。

 アジア人2000万人を殺害する闘いの中での戦死が,「崇高な散華(さんげ)」と称賛される。

 ※ただし,手元の広辞苑によれば,「散華」は「仏に供養するために花を散布すること」であり,「華(はな)と散ると解し,戦死を指していう」のは「誤って」いるとある。

 「遊就館」の展示も同じだが,このビデオにも殺された人々の目線はどこにも存在しない。

 家族を殺され,土地や財産を奪われた人たちの思いは意図して「忘れ」さられている。

 東京裁判による戦争総括は日本人に「いわれなき罪」を押しつけたものだとも。

 50分ほどの映像だが,前列で見ていたあるお年寄りの1人が拍手をする。

 会場を出る途中,「あなたたちのような若い人に見てほしかった」「明日からしっかり生きてね」と,年輩の人に声をかけられた学生もいた。

 いわれた側は「あの映画見て,『しっかり』って,どういうこと?」と怒っていたが。

 さらに3時すぎからは,もう1本のビデオ「君にめぐりあいたい」(1999年)を見る。

 たくさんの特攻の姿,遺書,思い出が語られ,戦争は侵略でもなく,虐殺でもないと明言される。

 ここでも戦死は「桜花のように散る」と美化されている。

 東京裁判が歴史の偽造であることが,パール判事の言葉によって根拠づけられ,この歴史観にとらわれることは「日本人の名誉・誇り・尊厳への罪」だとされる。

 「英霊につくす感謝の心はないのですか」。

 ナレーションは語気強く,繰り返し問うてくる。

 天皇への靖国参拝(御親拝)までもがよびかけられる。

 2001年の自民党総裁選で,小泉候補が「参拝」公約を行なったのは,こうした力の獲得をめざしすものでもあったのだろう。

 今年の8月15日には,1日に50万人の参拝者を迎え,そこに小泉首相の参拝を迎えようとする動きがある。

 それはポスト小泉に対する靖国参拝への強い「激励」の意味をもつものでもあろう。

 4時には,「遊就館」出口で感想をノートに記していく。

 戦争での個々人の苦難と,戦争そのものの正当化は区別するべき問題である。

 死者の追悼と侵略の肯定の意図的な混同を広めることは有害である。

 何人かの学生たちも,それぞれに書き込みをしていたようだ。

 「遊就館」を出て,靖国の境内を外に向かう。

 「ここはやはり戦争の記録の場所ではなく,あの戦争が正しかったという歴史観教育の機関になっている」。

 まわりをあるく学生たちと感想が一致する。

 境内を出て,ただちに「羽田」に直行。

 5時すぎには飛行場に着く。

 お土産を買い,食事をとり,7時25分発の飛行機にのる。

 これにて,今回の濃密東京ツアーはおしまいである。

 次のゼミでは,互いの感想を交流したい。

 以下は,「遊就館」1Fロビーでの学生たちの姿である。

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