つづいてみんなで「遊就館」へ。

 途中,食堂で昼食をとるには,一度展示コーナーを出ねばならない。

 「食事の後も展示が見たいので」とH川さんが,受付にお願いしてくれる。

 職員さんが融通をきかせてくださり,あっさりOKのお返事となる。

 さて,解説である。

 遊就館は1882年につくられ,関東大震災で倒壊する。

その後大正時代に再建され,さらに2002年7月に今日のものがつくられた。

 遊就館のパンフレットには,日本文と英文で異なるところが少なくない。海外にむけて大っぴらには言いづらいことがあるのである。

 1Fロビーの機関車は泰緬鉄道の開通式に走ったもの。

紀元2600年(1940年)につくられた海軍の零式戦闘機は最後は特攻機とされていった。

 大伴家持の「海ゆかば」,漢文からとられた「遊就」の名の由来,

 神話の人物がさも実在したかのような展示のあり方,

 2002年のリニューアル以後,若い人たちにもわかりやすくとの配慮からパネルなど図示の資料がふえている。

 尊皇倒幕の志士たちがさらに「錦の御旗」を手に「官軍」を名乗って旧権力を叩きつぶしていく過程。

 征韓論をとなえた西郷は西南戦争で自決する。英霊ではないが後に恩赦を得て上野に銅像がつくられた。

 欧米をまわった大久保等が西郷を抑えたのは「強兵が先」という理由で,「征韓」そものを否定したわけではない。

 戦没者慰霊は天皇による儀式,天皇が神社にあたえた「御幣物」の実際,神武天皇の杖のトンビと金鵄勲章。

 軍旗の旗竿の頂点には菊の紋章があり,16枚の花弁の数が旭日旗のまわりの光の数となっている。

 日清戦争で得た莫大な賠償金(3億1000万円,当時の国家予算の4~5倍)はその後の軍費のもとになる。

 しかし,日露戦争では賠償金なし。両国ともに戦争終結には国内事情が大きな役割を果たしていた。

 1910年「韓国併合」,ここから先の展示には韓国・朝鮮の話しは一切でない。

 人の魂が「英霊」となる仕掛けの儀式,実際に行なわれたNHKによる実況放送が流れている。

 南京事件については,これによって「一般市民の生活に平和がよみがえった」との展示記述がある。

 いったいどこが「平和」だったのか。

 休憩中,H川さんに,遊就館のリニューアルオープンに必要とされた資金の出所をうかがってみる。

 「130周年記念として80億円を目標にした募金活動が行なわれた」

 「正確にはわからないが50億円ほどが集まったとされる」

 「それによって遊就館のリニューアルと新しい参集殿の建設がなされた」。

 休憩中の学生たちは,ほとんどがソファでグッスリ睡眠態勢にある。

 聞けば,4~5時までおしゃべりをしていたという。

 ただし,その話題には「昨日の資料館で考えたこと」もあったとか。

 それでも,Nしょんががんばって「明治権力が天皇をひっぱりださずにおれなかった歴史」の経過を質問している。

 写真は,1Fロビーの復元された「ゼロ戦」である。

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