9月21日(木)は,朝8時の起床である。

 すばやく9時には,チェックアウト。

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 今日の運転手はいささか怪しい。

 しかし,そのまま「嘉数高地」をめざしてすすんでいく。

 ナビには出ないが,しばらく走ると「嘉数高台公園」の看板があった。

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 公園の展望台から,まずは普天間の飛行場をながめる。

 ここは「殴り込み部隊」である米海兵隊の専用基地である

 これによって宜野湾市はドーナツ状の町の形を余儀なくされている。

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 あわせてここは,沖縄戦の最初の激戦の場所でもある。

 たくさんの犠牲者があり,たくさんの慰霊碑が立つ。

 上は「日本人」として闘って犠牲となった朝鮮人たちの慰霊碑である。

 おそらくもっとも無権利な存在としてあつかわれたのだろう。

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 都道府県別の慰霊碑の多くは,「わが県」の兵士の勇猛果敢を褒めたたえるもの。

 英霊,御霊といった靖国用語も少なくない。

 その中で,地元住民の犠牲にふれ,戦争の悲惨を語る例外的なものが,上の京都の慰霊碑となっている。

 地元嘉数部落は,全住民の半数以上がなくなった。  

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 いまも北にむけて残されているトーチカ。

 中央の穴から,機関銃などが突き出されていた。

 被弾によって,内部の鉄の棒がむき出しに。

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 この裏側とくらべると,前面の破壊がひどさが良くわかる。