4月3日は,新参初登園の朝であった。

 ならし保育の初日は,9時から10時半までの短時間。

 8時には眠い目をこすって立ち上がり,

 バケツ,着替え,連絡帳,ティッシュなど,

 各種必要物資を両手にかかえ,一族全員での登園となる。

 そのまま,こちらはJR「加島」から「尼崎」へ,「大阪」へ。

 車中「虎三の人」となっての移動である。

 「小原稿メモの人」となりつつ,店が開くのを待って,

 そのまま梅田で買い物をする。

 ただちに「加島」へもどると,

 新参初登園はすでに終了。

 今日は相方の生誕記念日である。

 梅田直行はそのためであった。

 プレゼントの品は,同時に新参の熱中玩具ともなっている。

 一石二鳥とはこのことである。

 うどんゾゾゾの時間をはさんで「格差小原稿の人」となり,

 3時半には散歩に出る。

 郵便局では,たまっていた大量の振込用件をすませていく。

 スーパー「ドットコム」もひやかして,ただちに「格差小原稿の人」となる。

 トマト大2ケをおのれの水分だけでクタクタにして,

 そこにキャベツ,豚肉,塩のみという,

 簡単ウマウマ煮込みをつくる。

 6時半,振込の代金を多く受け取ってしまったと,

 郵便局の職員さん2人が5円をもってあらわれる。

 あの電卓手動計算をやめて,

 スーパーのレジのように,

 おつりを機械が吐き出すという具合にはできないものか。

 新参を風呂で丸洗いし,その後は「GP文書まとめの人」となり,

 9時30分には「小原稿の人」へともどってみる。

 5時間睡眠での原稿書きは,やはり,かなり効率が悪い。

 新参の生活リズムにあわせた,こちらの生活改革が求められている。

 蜷川虎三『虎三の言いたい放題』(刊行委員会,1981年)を読み終える。

 79年1月から80年12月にかけて,

 「京都民報」に掲載された連載政治随筆のまとめである。

 78年4月の知事引退であり,亡くなったのが81年2月であるから,

 文字通りの絶筆である。

 知事時代の話はほとんどなく,

 筆はつねに大平・鈴木内閣による政治の現在を追いかけている。

 また80年3月2日にはこうも書いている。

 「”革新”といえば,何か政治家や政党の問題のように考える人もあるが,これこそ庶民のたゆまず歩く道である」。

 大した知性と行動の人である。