4月25日は,朝9時半の起床であった。

 特殊栄養ドリンクで立ち上がり,ただちにパソコン前に貼りついていく。

 朝は,小仕事,小仕事の業務時間となる。

 昼は,昨日につづいて「なかむら」のうどんを,ゾゾゾゾゾ。

 う~む,なるほどなあと,味わっていく。

 さて,今日は1時から,

 マンション各方面点検のための停電である。

 それじゃあ,外で仕事をするかと,外に出る。

 ところが,なんとまあ,

 考えてみれば,当然のことだが,エレベーターが止まっている。

 仕方なく,階段を,8段降りては左にクルリ,

 8段降りては左にクルリ,

 これを28回繰り返す。

 途中で追い越したバアチャンに,

 「エレベーターのありがたみがわかるなあ」と声をかけられる。

 このバアチャン,後ろの人にも,同じことを言っていた。

 JR「加島」から「朝霧」へ。

 人の少ない普通電車に乗り込み,

 車中「歴史教育議連の人」となっていく。

 「須磨」で降りようかと思っていたが,

 駅についた気づくのが遅く,

 電車のドアがプシュッと閉まる。

 そこで,ひさしぶりに「朝霧」に立つ。

 まったくもって,いい天気である。

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 駅の上をわたる歩道橋の上から一枚。

 向こうに見えるのは,明石海峡大橋。

 橋のつけねが「舞子」のあたり。

 歩道橋をあるいていくと,右手に,子どもが座った像がある。

 なるほど,ここは例の花火の夜に,

 幼い子どもをふくむ圧死事故があった場所である。

 亡くなられた方の名前を刻んだ碑もある。

 そういえば今日は,JR「尼崎」事故からちょうど2年の日でもある。

 これらの事故の教訓は,今日にいかされているのだろうかと,

 チラリと考えて,いささか重い気分になる。

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 碑の前を通り,歩道橋の端から淡路島をながめてみる。

 明石海峡大橋の下をたくさんの船が行き来している。

 事故後の開発で,このあたり一帯が「つくられた公園」になっている。

 下に降りて, ベンチに座り,

 あたたかい日差しの中,「歴史教育議連の人」をつづけていく。

 区切りのついた3時30分には,「朝霧」を脱出。

 またしても普通電車に乗り込み,JR「立花」へ。

 車中「学生座談会原稿直しの人」となっての移動である。

 「立花」駅前の喫茶店に入り,

 同じ「原稿直しの人」となっていく。

 5時前になって,ザッと雨が降ってくる。

 喫茶店のテレビが,「甲子園が雨だ」と騒いでいた。

 JR「立花」から「加島」へ。

 車中「ボケボケの人」となり,5時20分には家にもどる。

 さっそくに,普通うどんを,ゾゾゾゾソ。

 そして「学生座談会原稿直し第2回終了の人」となっていく。

 学生たちにガッシン。

 「加筆・修正希望,注文等があれば,週末までに」と指令を放つ。

 同じ本の「はじめに」を完成させて,

 こちらは京都・大阪方面にガッシンする。

 9時になったところで,冷凍庫からきすを取り出し,

 「解凍,開く,フライパンで焼く」の作業にかかる。

 そして,ビールを飲みながら,

 夕べ録画した「ごきブラ」なんぞをながめていく。

 日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会編

 『歴史教科書への疑問』(展転社,1997年)を読み終える。

 3年ゼミ生の春休みの宿題であるが,

 じつは,こちらが読むのは初めてである。

 「広義の強制性」はともかく,「狭義の強制」は文書で証明されていない。

 問題をそこに矮小化しようとする発想は,

 10年前から何も変わっていない。

 直前まで自民党総裁だった河野洋平氏への質疑もあるが,

 議連メンバーと河野氏との問題のとらえ方のあまりの落差に,

 あらためて驚かされる。