7月24日は、目ざましかけ忘れの朝であった。

 9時40分、本日欠勤の相方および病欠の新参に起こされる。

 ノロノロと動いて、10時30分には外に出る。

 JR「加島」から「西宮」へ、

 車中「靖国派の人」となっての移動である。

 ほう、日本会議はそんなことになっているのか。

 11時には、研究室に到着。

 ただちに「4年ゼミ-ようやく煮詰まり始めてきたか」をやっていく。

 この時期は、不規則の卒論相談がふえてくる。

 神道政治連盟の出版物があることを、

 学生たちに教えてもらう。

 つづいて、12時からは委員会。

 弁当を食べ、たくさんの資料を前に、

 じっくり3時前までの会議となる。

 またしても、新しくやっかいな宿題ができてしまった。

 リュックに山ほど本をつめ、

 3時前には大学を出る。

 JR「西宮」から「三宮」へ、

 車中「靖国派の人」となって移動する。

 到着後、ただちに、とある出版方面の相談をする。

 ほう、ほう、そういうことになりますか。

 帰りには、同じ「三宮」のジュンク堂に突撃。

 本のならび方が、まるで変わってしまっており、

 「アメリカは? 中国は? 政府刊行物は……?」と、

 虚ろな目つきでウロつきまわる。

 JR「三宮」から「甲子園口」へ。

 車中「靖国派の人」となり、

 世界構造の変化との関係に焦点をあてる着想を得る。

 だが、つかえる資料がどれだけあるか。

 「甲子園口」のいつもの喫茶店で「就職原稿の人」となる。

 区切りがついたところで、7時前の帰宅とする。

 体調の「悪くない」新参ともども、

 近くの沖縄屋へと出かけてみる。

 ヤツは、鮭のおにぎりと、ポーク玉子を中心に攻める。

 島ラッキョの天ぷらには、

 実に、苦そうな顔を返した。

 これでは、ゴーヤは10年はやい。

 外食の際の、当面の問題は、

 自分さえハラが膨れれば、それで良いという、

 ヤツの果てしなき自己チューの思想である。

 こちらは、落ち着いて食うことができない。

 いずれ、説教が必要となろう。