9月1日は、3時すぎ就寝、

 12時起床のボケスタートであった。

 メールをチェックし、4年ゼミの函館旅行もふくめて、

 あれやこれやをながめていく。

 ベーコンエッグとナンという、

 いささか濃いめのアメリカ・インド連携食をとっていく。

 両国の核兵器保有をめぐる連携は、ダメダメだが、

 この手の食い物連携は悪くない。

 しばし、ベランダで「ネジ回しの人」となり、

 3つの布団をしっかと干していく。

 3時ちょうどには外に出る。

 コンビニから、訪韓旅行の振込を1つ、

 そして、忘れていた讃岐うどんの振込を1つ。

 そのまま、JR「加島」から「甲子園口」へ移動。

 明日の名古屋往復のチケットをゲットし、

 すぐ近くの本屋で「るるぶ函館」をゲットする。

 いつもの喫茶店に入り、「函館」旅行を具体化していく。

 目的は単純明快「食う」である。

 そういえば、教会や公会堂のライトアップは見たことがない。

 夕食を先にすませて、

 函館山および周辺各地をまわるというのがいのかも知れない。

 となると、午後の五稜郭のあとには、

 レンガ街で土産を先に片づけるのが正解か。

 そして夜は大門横町あたりで、学生たちを「野放し」にすると。

 函館方面に新たな見通しがついたところで、

 わが人生における

 目下のところの活力喪失状態を自己分析する。

 「新参」の育児につかれているのは確かだが、

 根本には、自分の人生充実に向けた内的渇望の衰弱があった。

 そこがハッキリ見えてきて、次第に気持ちの整理がついてくる。

 「自分はどこに向かって生きているのか」

 「注文仕事に応える」日々で、

 そこが、曖昧になっていたようである。

 この数日、新参の尻を洗ったり、「尼」の本屋を歩きながら、

 アタマにボンヤリ浮かんでいたことである。

 新参との時間についても、

 前向きな何かを得る工夫や理解があっていいのかも知れない。

 7時前には、家にもどる。

 和歌山ラーメンにベーコンを放り込み、

 日本酒をロックでなめつつ、ゾゾゾゾゾ。

 夜は、ニュースサイトをながめていく。