1時10分には、全員でホテルを後にする。

 金さんが、これから向かう西大門刑務所の解説をしてくれる。

 1907年に、500人収容という、当時としては圧倒的な規模でつくられたが、

 1930年には、ここに18000人の朝鮮人が閉じ込められた。

 もちろん、ほぼ100%がいわゆる「政治囚」

 つまり日本の支配と闘った人達である。

 さらに、「日本の人には南北朝鮮がわかれた経過を知らない人が多いから」と、

 1945年12月に始まる国連信託統治から、

 53年7月27日の休戦協定にいたる歴史も紹介てしてくれる。

 さらに、最近になって北からの亡命者がふえていること、

 しかし、その亡命者が、南で安定した暮らしをすることは

 なかなか難しいという現状も

 率直に紹介してくれる。

 1時30分には、西大門刑務所へ。

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 こちらが展示館の入口である。

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 1907年の全国的な義兵闘争、

 1919年3月1日後には、3000人の囚人が入れられたこと、

 ミンピというのは、明政皇后を日本人が見下して呼んだ名前であるなど、

 はじめは、そうした文字と写真の展示や解説がある。

 その後、内容は、次第に

 政治囚への拷問の様子などを

 実物や人形などで再現していくものとなる。

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 小さなロッカーのようだが、

 これは人間を立ったままで閉じ込めるための道具である。

 肉体の苦痛とともに、外が見えないことによる、

 精神の閉塞感は大変なものだったろう。

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 刑務所の一部が、当時のままに残されている。

 3人程度を予定した牢獄に、

 20人もが押し込められたという。

 一番衝撃的な、拷問の様子の蝋人形による再現は、

 うっかり写真を撮るのを忘れてしまった。

 それほどに、真剣に見入らずにおれないものであった。

 それは無惨なものである。

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 こちらは、死刑執行後の死体を捨てにいくためのトンネルである。

 たくさんの朝鮮人の死体がここを通っていったことになる。

 ガイドの金さんの次の言葉が印象的であった。

 「私がはじめてきたとき、 事実はすべて知っていることだった」

 「母や祖母から聞かされていた」

 「しかし、それがどういうことだったかを

 本当にリアルに知ったのはここに来てからです」。

 われわれ日本人には、

 さらに大きな意味をもっていえることであろう。