12月2日は、8時30分、麹町起床の朝である。
野菜ジュースをクピリと飲んで、
さっそくパソコンを開いていく。
10時ちょうど、ロビーで2人の方のお迎えを受ける。
婦人民主クラブのO西さんとS井さん。
「新日本婦人の会」の先輩格にあたる団体である。
場所を移してのインタビューとなる。
こちらはいくつかの団体の共同の図書資料室ということらしい。
「今年1年をふりかえって」。
質問に答えるというよりも、
あれやこれやと互いに話を重ねていく。
国内の政治、世界構造の変化と「慰安婦」問題、
日本国憲法を国づくりの本当の指針としていくことの必要など。
11時半には終了となる。
3人で食事をとり、あれやこれやの話をつづける。
どうも、こちそうさまでした。
12時半には、次への移動を開始する。
東京メトロ「麹町」から「市ケ谷」へ、
都営新宿線で「笹塚」へ、京王線「京王永山」へ。
ヤフーで調べたとおりに行動するが、
なぜか予定の電車に間に合わない。
「市ケ谷」では「構内ダッシュ」が必要だったらしい。
車中「スライド入れ換えの人」となっていく。
とはいえ、開始前の1時45分には、
会場の「ベルブ永山」(多摩市)に到着。
主催者およびWAM館長の西野さんにご挨拶。
やや遅れて、3年ゼミ「ぬり・みほ」コンビもやってくる。
プロジェクターなどの調整に時間がかかり、
2時15分頃の開会となる。
ミニシンポ「若い世代と考える『慰安婦』問題」。
まずは、西野さんが、
戦時の資料や写真をつかって詳しい解説をされる。
「さすがに専門家」というグイッと突っ込んだお話である。
つづいて学生たちが、パワーポイントをつかって
学びと思考の過程を語る。
こちらも、この4年間の学生との学びの経過を
たくさんの写真を示して語ってみる。
4時からは、フロアーから出る質問に
互いに答える時間となっていく。
「1927年生まれです」という男性からは、
かつての自分の軍国少年ぶり、
そういう国民を育てた当時の社会のあり方等が紹介され、
学生たちに対する期待と応援の言葉が語られる。
他方、学生が「自分が産む子どもの未来」を語ったことには驚いた。
参加者それぞれの真剣さが伝わってくる催しであった。
主催の中心は、パルタマ 実行委員会事務局。
しばらく、西野さんと立ち話。
「慰安婦」問題解決に向けた
「オール連帯」の立ち上げ(11月17日)は
予定どおり、うまくいったらしい。
新聞の取材に応じる学生たちとわかれて、
こちらは5時30分には会場を出る。
小田急線「永山」から「新百合ケ丘」へ、「町田」へ、
JR「町田」から「新横浜」へ、「新大阪」へ、
「尼崎」へ、「加島」へ。
「乗り換え連発お疲れ人生」を乗り切るエネルギーを、
「新横浜発車ただちに幕の内の人」となって充填する。
もちろん、まだアルコールは「なし」である。
車中「パソコンファイル整理の人」から、
「インドの人」となっての移動である。
9時をまわったところでの帰宅となった。
シャワーをあび、ビールをあけ、
70件のメールをフニャフニャとながめる。
来年度3年ゼミ志望レポートは、
いまのところ、ちょうど程よい数となっている。
うまく落ち着いてくれるといいのだが。
リュックの中から、買った本、もらった本、
もらったお菓子などをひっぱりだす。
明日は、静かに授業の1日である。