4月24日、3時40分から全体教授会。

 新任の先生方の楽しいご挨拶をうかがった後、

 しばし、議決に加わっていく。

 5時すぎには会議を抜ける。

 研究室で、いくつかのメールを処理して大学を出る。

 阪急「西宮北口」から「梅田」へ、

 御堂筋線「梅田」から「淀屋橋」へ、

 車中「19世紀フランスの人」となっての移動である。

 「淀屋橋」1番出口で、

 3年ゼミの学生4人と合流する。

 ただちに、大阪中央公会堂へ。

 今夜は「大阪市会で日本軍『慰安婦』問題の

 解決を求める意見書を可決させよう!

 --4.24大阪証言の集い」である。

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 学生たちは、緊張の面持ちで

 配布された資料に目をとおす。

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 椅子が足りなくなるほどの盛況である。

 チンチャ・コリアバンドの歌があり、

 映像「忘れてはならない、絶対に--彼女たちの物語」

 の上映がある。

 この映像は、韓国挺身隊問題対策協議会が製作したものだが、

 08年9月の水曜集会で、

 わがゼミが横断幕をひろげてとった写真が、

 2度も大きく映し出される。

 つづいて、体調不良のために来日できなかった

 キル・ウォノクハルモニからのビデオレターの上映があり、

 何度も、飲んだことのある

 挺対協の梁路子(ヤン・ノジャ)さんの講演がある。

 被害者の中でもっとも若い世代に属する

 キル・ウォノクハルモニの体調不良は、

 いよいよ、ハルモニ自身による

 海外での証言が不可能になってきたことを意味している。

 その現実を直視し、しかし、あきらめることなく、

 可能な取り組みをすすめていかねばならない。

 ハルモニたちのためにも、

 暴力に怯えねばならない現代の女性のためにも、

 そして、未来をになう若い女性のためにも、

 「戦争と女性の人権博物館」建設の取り組みがすすむ。

 会場からたくさんのカンパも集まり、

 今後の取り組みについての行動提起も行われる。

 もちろん、「慰安婦」問題での誠実な対応を

 日本政府に求める、いくつもの取り組みも紹介される。

 熱気あふれる集まりだった。

 終了後、たくさんの方とご挨拶をかわした後、

 ヤンさんをとっつかまえて、

 残った学生との記念撮影に応じてもらう。

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 その後、いつもの「慰安婦」仲間(+新マングース)

 といっしょに、近くのビヤホールに移動する。   

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 参加した3年ゼミの学生は4人だったが、

 ここにやってきたのは2人である。

 「韓国国内の複雑な動きを初めて知った」

 「たくさんの市民にかこまれた学びは、

 大学での学びとはまた違う」。

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 ビールが進み、初対面のO森・N本両氏による

 強い者同士のマングース同盟が結成される。

 そして、これに対応して、やむなく

 毒なしハブ同士の貧弱連合も創設される。

 力関係の落差は

 学生たちの目から見ても歴然としていた。

 10時半には、満腹となった

 学生たちが家路につき、

 残されたおじ・おばたちは、2次会へ。

 強者「同盟」が気炎をあげる横で、

 貧弱「連合」が静かに生き残りをはかっていく。

 12時をすぎてのおひらきとなった。

 御堂筋線「淀屋橋」から「梅田」へ、

 JR「大阪」から「尼崎」へ。

 「家に帰ることができるのか」。

 たくさんの心配の声の中、

 「同盟」リーダーO森氏が

 「何とかなる」と断言する。

 そして、それが現実となるからおそろしい。

 地下鉄、JRとも、見事に「本日の最終」

 に間に合った。

 1時前には、こちらも加島にたどりつく。

 本日の万歩計は、8286歩。

 明日は、朝から知多半島へ向かう。