5月28日(木)は、9時半起床の朝であった。

 特殊栄養ドリンクをクピリとやって、

 メールチェックから「経哲原稿の人」となっていく。

 ①エンゲルスの「大綱」に刺激されて。

 ②マルクスの経済学関係の最初の手稿(1844年)

 (出版された最初の経済学関係文献は『哲学の貧困』)。

 「初期マルクス」を礼賛する議論には、

 「経哲手稿」に特段の理論的意義を見出すものが多いが、

 マルクスの知的生涯の全体をながめるならば、

 それはやはり出発点。

 いかに才気溢れるとはいえ、

 26才の若者による、初歩の学びと模索の記録である。

 12時半には、玉子かけゴハンに、

 ニンジンとインゲンの煮物をのせて食べていく。

 十穀をまぜたゴハンは、

 夜中のうちに、土鍋で炊き、

 タッパーに小分けして、冷凍しておいたもの。

 煮物も、夕べのうちにつくっておいた。

 「水戸黄門」もののNHK録画

 をながめながら食べていく。

 「黄門」という名は、

 光圀が朝廷から与えられた「中納言」の位を、

 中国の官名になおしたものだという。

 『大日本史』編纂の努力をみても、

 家庭の医学書『救民妙薬』の出版をみても、

 なかなかに視野の広い文化人であったらしい。

 さて、湯をあびて、フラリと大学に出てみるか。