3月8日、JR「新大阪」から「尼崎」へ、「加島」へ、

 コンビニを経由して、11時半の帰宅であった。

 明日の極楽荷物をリュックにいれる。

 日韓共同「日本軍慰安諸」宮古島調査団著

 洪ユン伸編『戦場の宮古島と「慰安所」』(なんよう文庫、2009年)を読み終える。

 戦時の宮古島には、3つの飛行場、6本の滑走路がつくられた。

 3万をこえる軍隊の駐屯とともに、

 いくつかの「慰安所」がつくられるが、

 山のない宮古島では、「慰安所」を隠せる場所がない。

 そこで、子どもを含むたくさんの目撃証言が生まれ、

 住民と「慰安婦」の生活上の交流さえもが生まれていた。

 中心は、彼女たちを自分の目で見た住民たちの証言である。

 沖縄戦の苦労はあったが、「私は加害者だと思っている」。

 そう語る女性の言葉は重い。

 本日の万歩計は、4477歩。