6月24日(木)は、9時起床の朝であった。

 歯を磨きながら、メールをカシャカシャ。

 特殊栄養ドリンクをクピリとやって、

 ただちに「マルクスパワポの人」となっていく。

 プリンターがストを起こすが、

 「調整」のすえ、短時間で解決する。

 11時には、まっていた「書き留め」が到着。

 これにて、本日の「ひきこもり」任務は達成となる。

 そのまま「マルクスパワポの人」を継続する。

 「普遍的に発展した諸個人は、

 彼らの社会的諸関係を、彼ら自身の共同体的諸関連として、

 やはり彼ら自身の共同体的な諸統制に服させているのであるが、

 このような普遍的に発展した諸個人は、

 自然の産物ではなくて、歴史の産物である。

 こうした個体性〔個性〕が可能になるための

 諸力能の発展の程度と普遍性とは、

 まさに交換価値の基礎のうえでの生産を前提しており、

 この生産によって初めて、

 個人の自己および他者からの

 疎外の一般性がつくりだされるとともに、

 他方では個人の諸関連と諸能力との一般性と

 全面性もまたつくりだされるのである」。

 まったく、もって、えらい文章やのお。

 他者への人格的な依存から、独立への

 人間の人格的自由の成長を、

 社会の段階的発展という角度から論じた草稿である。

 両者の過渡に位置づけられた資本主義の歴史的な役割

 (物象的依存の上での人格的独立)だが、

 わが目前の資本主義は、その内部に、

 独立への要素をどのように成長させているだろう。

 基本の問題意識は、

 資本主義の発展段階をどうとらえるかである。

 「個性の発展」は、その重要な基準の一つとなりうる。

 2時をまわったところで、グデリとつかれる。

 ベランダに洗濯物を干し、フウセンカズラに水をやる。

 そして、チキンライスに玉子を落としてパクパクパク。

 そろそろ、散歩に出てみるかあ。