〔S・R〕

 ハルモニのまとまった証言が聞けなかったのは残念だったし、西大門刑務所が改装中なのも残念だった。

 村山さんのように、ハルモニたちと長く、接している人の話を聞いて、ハルモニに対する人情味のようなものを感じた。

 ハルモニも、使いたくないかも知れない日本語をつかってくれた。

 日本軍「慰安婦」歴史館の再現された「慰安所」を見て、なていうことをしたんだと思った。

 刑務所では、死体をすてるためのトンネル、拷問につかったロッカーのようなものなど、本物の迫力があった。

 水曜集会で発言することについては迷っていた。

 でも、発言したことでスッキリした。よかったと思う。

 右翼のおじいさんもいて、ビックリしたが、ああいう人は日本にもいる。

 「ナヌムの家」で話し合った時に、みんながするなら自分もするというのではなしに、1人1人が横断幕をもちたいという意志を示してくれたのがうれしかった。

 日本には原爆を落とされたという戦争犯罪の被害の歴史もある。

 加害と被害の両方を見ていきたい。

 国は人がつくったものだから、完璧であるはずはない。

 だから、日本をキライになる必要はないと思う。

 こういう問題を学ぶ人が少ないのを、なんとかしていかないといけない。

〔M・S〕

 日本がやったことのひどさを、あらためて確認した。

 「ナヌムの家」のハルモニは、普通の人だった。

 それはあたりまえのことなんだけど、自分の中で勝手に、暗いとか、コワイとか思い込んでいた。

 やさしい言葉をかけてくれることに感動し、そのぶん申し訳なさも感じた。

 来年のゼミの子たちは、ハルモニたちの話が、もっと聞きづらいのかも知れない。

 早く解決しなければいけないと思う。

 先生から聞いたけれど、病院にいったNさんが、「日本人にしか解決できない」「がんばって」といわれた話に感動した。

 もっと事実をたくさん知らせていかないと。

 韓国の他の資料館なども、次の機会をつくって見学したい。

〔H・Y〕

 刑務所の人たちとハルモニに共通しているのは、薄暗く、不気味な場所に閉じ込められたということ。

 希望の光が何も見えなかったんだと思う。

 ハルモニには、何度も同じことをくりかえす人もいた。高齢なんだなと思った。

 体調が悪くて水曜集会に参加できないハルモニもいた。

 残されている時間が少ない。

 そんな高齢にもかかわらず、「ナヌムの家」のハルモニたちは、1時間以上かけて集会にいく。

 日本に事実を認めてほしいという、強い思いがあるからだと思う。

 早く謝罪しないと解決しない。

〔K・M〕

 印象に残ったのは、ハルモニのやさしい目だった。

 日本での勉強で、ハルモニは日本人を良く思っていないと思い込んでいたので、「ナヌムの家」にいった時は、息苦しかった。

 歴史館の「慰安所」の再現も見て、どんどん怖くなっていった。

 ハルモニと交流する時間があるといわれても、正直怖かった。

 でも、ハルニモは「こっちにおいで」といってくれた。

 朝は、日本語で「おはよう」といってくれた。

 なんだか、とてもホッとして、安心した。

 水曜集会は934回目だという。

 日本人はそのことをどう思っているのだろう。

 昨日の夜、買い物からかえって、Nさんと話し合った。

 「どうして謝らないのか」が基本的なことだけど、根本の疑問。

 その理由をしっかり、調べ、考えることを課題にしたい。

〔N・A〕

 足をけがして病院にいった。

 30代くらいの女の人に「日本人でしょ」「何しにこんなところに来たの」といわれた。

 説明すると、納得してくれ、帰っていった。

 その後、もどって来て「この問題を解決できるのは日本人しかいないから、がんばってね」とジュースを差し出してくれた。

 身近な人に「『慰安婦』問題を学んでる」といっても、あまりいい反応がないのに、被害を与えた韓国の人にそういってもらえて涙が出た。

 ハルモニのまとまった証言がなかったことが、時間の少なさを物語っている。

 私たちが伝えていかないと。

 講演会もがんばりたいし、友人にも伝えていきたい。

 胸をはって伝えていきたい。

 けがをしてしまったけれど、みんなやさしくしてくれて、ありがとう。

〔S・C〕

 戦後何十年間も、何もかわらなかった。

 水曜集会に出ても何もかわらないんじゃないか。

 卒業したあとも、自分は「慰安婦」問題にかかわるんだろうかと、そんな風な思いがあった。

 でも、ハルモニにあって、目を見て、勉強しなさいといわれた言葉には重みがあった。

 日本語を自分で勉強して、日本人に伝えようとするハルモニは強い。

 これからは私たちが伝えていかなければ。

 ハルモニには、長生きしてほしい。

〔F・E〕

 本や映像で学んで、ハルモニたちは、テレビの中の人というイメージだった。

 でも、ハルモニにあって、歴史館で遺品も見て、

 遺品の中にカメのキーホルダーがあって、私のおばあちゃんも同じようなものをもっているので、

 ホントに一緒なんだなと思った。

 女性への差別、性のあり方、被害者が告白できない社会のあり方など、戦中だけの問題ではない。

 (ガイドをしてくれた)李さんが、刑務所の展示を解説しながら、戦争中は日本の市民も被害者だったといわれたことにビックリした。

 韓国の人に、こうした歴史を教えられる日本人もおかしいと思う。

 いま私たちのまわりには韓国の人がたくさん来ている。

 でも、日本人は歴史をあまり考えていない。

 韓国の友人は、「日本人は好きだけど日本はキライ」「おじいちゃん・おばあちゃんは日本を好きじゃない」という。

 日本政府は、そういうお年寄りが死んでしまえばいいと思っているんだろうか。

 いま、私たちに何ができるのか、「ナヌムの家」の夜に話し合った。

 自分の出身高校で講演させてもらうことを申し入れるとか、本をつくるとか。

 まず家で、家族たちに伝えていきたいと思う。

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 以上、およそ1時間。

 発言は、手元のメモから再現したものです。

 最終日は雨だったので、感想交流は、西大門刑務所の駐車場にとめたバスの中で行いました。