2月28日(月)は、10時すぎ起床の朝であった。

青汁コーヒーでメールをチェック。

中身は、講演、キャリアデザイン、当面の研究など。

12時ちょうどには外に出る。

プラゴミを出し、一族4人分のゴクラク費用を入金、

そして映画「無言館」上映方面へのハガキを投函。

JR「加島」から「芦屋」へ、「元町」へ、

車中「生き方本」の人となって移動する。

13時には、改札前でNさんと合流。

喫茶店で、あれこれの相談をまとめて片づける。

そして、とあるサインをサラサラサラと。

40分ほどで店を出る。

JR「元町」から「西宮」へ、大学へ、

車中「研究会メールガシガシの人」となって移動する。

事務室で各種書類を受け取り、

その場で、サンドイッチをパクパクパク。

入学センター、経理課を経由して、研究室へ。

職員さんの人事異動について、

あちこちで声をかけられる。

3月末の研究会会場を確保し、

学生の優秀卒論集仕事にとりかかったところで、

珍しくも、資料室から電話が入る。

「へっ?」

「T中さんという方が来られています」

「T中さん?」。

ともかく研究室に来ていただくと、

なるほどあのT中さんであったのか。

この1年ほど甲南高校(現大学)の

治安維持法犠牲者についての調査を行い、

最近は、神戸女学院のそれを調べておられると。

たとえば1931年6月に、

本学音楽学部のピアノ教員が

下関で演奏をしたことを、

当時の特高警察が監視していた。

その報告が、山口県知事から主要府県警察長官、

警視総監、外務大臣、

さらに総理大臣宛に行なわれている。

そんな資料があるのだそうだ。

さらに、話題は朝鮮半島にも広がっていく。

思いがけない、いろいろなことが

すでにわかっているらしい。

今後がまったく、楽しみである。

中庭におかれている

取り壊された「奉安殿」の一部を、

ついでにいっしょにながめていく。

5時からは、大学教職員組合の執行委員会。

弁当を食べて、あれやこれやを議論する。

「ええ~っ、そんなにたくさんのサービス残業が?」

それにくわえて、新年度の人事がこうで、

36協定の提案内容がああで、

さらに超過勤務手当ての削減までもがここに集中する。

現場ではたらく「生身の人間」のカラダと心に

寄り添う努力はされているのか。

執行委員一同、深いため息の後、

事態打開の方策をただちに議論する。

8時40分の終了である。

決められた行動の方向を、

ただちに全組合員宛MLに流していく。

そして、学院組合や嘱託組合へ、

さらに大阪私大教連にも。

やっかいな仕事だが、

いまがんばっておかなければ、

個々の人間とともに

部署そのものがつぶれてしまう。

10時半には、大学を出る。

JR「西宮」から「尼崎」へ、「加島」へ、

車中「メールチェックの人」となって移動する。

長くラテンアメリカに滞在した方から、

お願いしていた、当地の現状や歴史に関する

学習文献のリストが届く。

まったく、もって、ありがとうございます。

11時すぎの帰宅であった。

豆腐やキムチをサカナに、ただちに焼酎を。

郵便物の中には、鈴木富久氏の

『アントニオ・グラムシ』(東信堂)出版の案内も。

3部作最後の今回は「概説」である。

ありがたい。

それなら、ついていけるかも知れない。

明日には、「レーニン原稿」にメドをつけねば。

(何カ月も同じことをいっているけれど)。