5月6日、8時半には、大学を出る。

JR「西宮」から「尼崎」へ、「加島」へ、

車中「津波・原発の人」となって移動する。

9時ちょいとすぎの帰宅であった。

家では、相方と新参が風呂に入っていたが、

生協からは来週のカタログが届いただけ。

先週は、注文を忘れていたらしい。

急遽方針を転換し、納豆を練り、

ビールをプハッとやって、

ホッケの切り身を焼いていく。

食べながら、録画しておいた、

気仙沼の水産会社の様子をみる。

9つの工場のうち8つが全壊した。

従業員は、全員解雇するしかない。

役員たちのその議論を前に、

社長は「休業」を決断する。

月2000万円の保険料支払いが必要になる。

しかし「家を流された人には、細くても、何かつながりが必要」

「再建後の工場には、みんなの力が必要」。

こういう人たちこそが、

地域の「復興」の主体となるべき。

それを応援するのが、国と社会の役割だ。

あらためて、つくづくそう思う。

部屋の電気を消したあと、

「明日はどうするかなあ」

「ひこうき、みにいくかなあ」。

ボツボツ眠たい新参に、

さほどの欲はなかったらしい。

明日は、終日、新参デーの予定である。

そして、わずかのスキに、原稿書き。