5月16日(月)は、10時すぎ起床の朝であった。

青汁豆乳をクピリとやって、

コーヒーカプリで、パソコン前へ。

「授業準備の人」となっていく。

11時には、大事な電話を1本受けていく。

なるほど、そういうことなのだね。

「授業準備の人」を終えたところで、

急な予定変更の連絡が。

あわてて、大学に休講掲示をお願いしていく。

ところが、ほどなく、事情は再逆転。

結局、「休講」の必要はなくなっていく。

一度出した「掲示」を、

いまさら引っ込めるわけにもいかず。

「人生、そんな日もあるわな」とつぶやいて、

キムチでゴハンをパクパクパク。

静かに「震災マルクス原稿的自宅謹慎の人」となっていく。

思い出して、3年ゼミのテキスト3冊を注文。

数が多いので、直接、

出版元に連絡するのだが、

お相手は、よく覚えていてくださる。

おまけに「割引」までの大サービス。

毎度、ありがとうございます。

6時には、原稿書きも、すっかりいやになる。

餃子、ラーメン、キムチという、

「餃子の王将」的夕食をとっていく。

あわせて、録画で「福島原発」被害をながめる。

5キロ先の東京電力の事故により、

見た目には、何の損傷もない家や地域に、

人はまるで入ることができない。

そして、復旧のメドもつかず。

生活のために、少なくない人が、他の土地へ。

自分たちも大変な中で、

みんなを元気づけようとする若者たち。

「国策の原発による被害なのだから、

復興も国策でやってほしいと首相に伝えた」。

震災後、仮の役場に泊まりつづける町長が、

遠慮がちの言葉で語っていく。

だが、他に道は、見つからないのだ。

まともに補償の手さえ差し伸べない、

東京電力はじめ「原発共同体」の罪は重く、

それを見過ごす政府の罪もまた重い。