9月4日、10時半には、バスにもどり、

チビチリガマ、シムクガマに向かっていく。

同じ地域の人が2つのガマに隠れるが、

チビチリは集団死へ、

シムクは生きることへ、と運命がわかれた。

180904 沖縄2日目 (53)

各自、軍手、懐中電灯を持参。

二手にわかれて、

こちらは、シムクガマの方へ。

180904 沖縄2日目 (53)

奥行は2000mもあるらしい。

ただし、立って歩けるのは100mくらいまで。

おそらくは、それくらいまでに

人がひしめいていたのだろうと。

180904 沖縄2日目 (53)

明るさは、スマホで、フラッシュを使ってこれくらい。

180904 沖縄2日目 (53)

振り向いたこちらが、入口となる。

180904 沖縄2日目 (53)

暗い中に「救命洞窟ノ碑」。

真新しい千羽鶴が、置かれていた。

180904 沖縄2日目 (53)

入口は、かなりの大きさになっている。

ここで、京都の学生たちと出くわす。

H子、F生が卒業した大学。

そちらのガイドは、知花昌一さんだった。