1月1日(水)は、9時半起床の朝であった。

これだけまとめて眠ったのは、

ずいぶん久しぶりである。

まだジグザグはあるだろうが、

少しずつカラダが整っているか。

お茶とコーヒーで、

本日の人生を立ち上げていく。

新参ズも立ち上がり、

10時すぎには、朝昼兼用ゴハンを食べていく。

お節の残り、そして年越しそばの残りである。

(そば買いすぎ)。

新参ズにお年玉を渡していくが、

妹新参が「こんなにいらない」と

2000円を返してくる。

受け取ったのは1000円だけ。

本意はよくわからないが、

本人がいいというのだから、それよしと。

しばし、新参ズの宿題時間となり、

こちらも「ウィルタの人」となっていく。

内田先生からいただいた年賀状に、

「若マル中国で200万部ですってね」と。

契約上、印税はあってないようなものだろうが、

中国民主化のお役に立てると嬉しい。

12時すぎには、一族で外に出て、

近くの神社へブラブラと。

200101 広田神社 (1)

琉球のお獅子が出かけてきていた。

200101 広田神社 (1)

兄新参がアタマをかじられていく。

200101 広田神社 (2)

つづいて、こちらもかじられていく。

少しは、アタマがしゃっきりするか。

200101 広田神社 (1)

例年どおり、新参ズは、にぎやかに走り回る。

200101 広田神社 (1)

そして、最後は、露天のカラアゲ、バナナチョコ。

近くの池をぐるりとまわり、

しばらく、公園でも遊んでいく。

3時前には、家にもどり、

それぞれシャワーをあびていく。

カード・ゲームに向かった兄も、

ほどなくご帰還、シャワーに直行。

読み終わったのは、こちらの一冊。

200101 広田神社 (1)

アイヌ関連授業とのかかわりで、

樺太の少数民族ウィルタにまで手をのばす。

ゲンターヌは、大日本帝国軍人として「招集」され、

戦後はロシアに抑留される。

しかし、日本にもどれば旧軍人として認められず、

軍人恩給も給付されない。

その不当性を訴える多くの人の支援の中に、

「8月5日、約束の場所、甲子園口駅で扇夫妻と再会。

私たちは上野裕一良氏と車で、

まっすぐ、神戸護国神社に走った」との一文が。

70年代半ばのことである。

兵庫歴教協の上野さんである。

そんな取り組みもされていたのか。

さっそく、何年ぶりかでメールを送信。

夕食は、お節と丸餅白味噌のお雑煮を。

食後は、いつものグダグダグダ。

9時半には、妹新参と布団に入り、

読本は「おおかみのともだち」1冊。

そして、いっしょにグーと寝る。

気がつけば、残念ながら、世間は1時半。

やはり、一直線に変化はしないらしい。

明日も、終日、家人生。

少し、原稿仕事をしていくか。