9月4日(火)は、7時起床の朝であった。

180904 沖縄2日目 (2)

読谷の海は、このような。

8時には、バスに乗り込んで、

ただちに、恩納村に向かっていく。

180904 沖縄2日目 (2)

亡骸が見つけられた場所。

米軍属による加害である。

180904 沖縄2日目 (2)

いまも新しい飲み物がたくさんならぶ。

毎日のように、献花台の掃除に

来ておられる方もあるとのこと。

180904 沖縄2日目 (2)

9時半には、読谷村の役場に移動。

村の95%が米軍基地だった戦争直後から、

現在の36%まで占領面積を減らした取り組みを。

「この100年は、大和への世代わりや二度の世界大戦、

27年間の米軍統治時代を経て

日本復帰へとつづく激動の時代であった」。

180904 沖縄2日目 (2)

村役場には、9条の碑が立ち、

役場の門柱には「平和の郷」「自治の郷」とある。

「村長室には、憲法99条が

掲げられているという話しも聞いた」。

99条は公務員の憲法尊重擁護義務を定めたもの。

180904 沖縄2日目 (36)

旧日本軍が土地を強制的に

接収してつくった「北飛行場」が、

沖縄戦で米軍の「読谷補助飛行場」につくりかえられた。

返還(取り戻し)は特定の団体によるのでなく、

役場を先頭とした村ぐるみの活動だった。

大きな役割を果たされたのが、

昨夜お話をうかがった山内徳信村長。

180904 沖縄2日目 (36)

「ここは沖縄の戦後史を学ぶ場として重要」

と平和ガイドの北上田さん。