7月31日(月)は、6時起床の朝であった。

今朝もモーニング・コールに起こされる。

お茶とコーヒーで、

本日の人生を立ち上げて、

7時の集合時間にギリギリ、セーフ。

ただちにバスで、「台北」駅へ。

170731 台湾3日目 (9)

7時31分発の新幹線に乗り込んでいく。

170731 台湾3日目 (10)

朝のゴハンは、サンドイッチ。

みんなでパクパク、食べていく。

170731 台湾3日目 (12)

9時には、終点「高雄」に到着。

車中「日本資本主義の人」となっての移動であった。

170731 台湾3日目 (14)

台湾南部は、台風10号が

西から東へ通過したばかり。

熱帯のスコールのすきをついて、

こちらのバスに乗り込んでいく。

「牡丹社事件」の現場へ。

海は、土色の高波である。

車中「学生福島本ゲラの人」

となっての移動であった。

170731 台湾3日目 (21)

11時すぎには、「亀山」に到着。

1874年の台湾「征伐」で、

西郷従道率いる日本軍

3000人の本部がおかれた場。

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山頂を目指す道の途中を、

昨日の台風で

倒れた木がふさいでいる。

それを乗り越えて、道を進む。

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「亀山」の山頂に到着。

左の海から、日本軍が上陸し、

右奥の「牡丹社」の谷に攻め込んだ。

ご案内は、地元のお役所の蔡さん。

(予定の高さんは、台風被害のために

来ることができなくなってしまった)。

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「明治7年討蕃軍本営地」

の文字が削られている。

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後ろが、先にのぼった「亀山」。

画像が見つかりませんでした: 170731 台湾3日目 (60)

「現在位置」亀山から、

石門古戦場にせまっていく。

3000名の日本軍が進撃し、

先住民300名を虐殺した場所である。

(ご本人たちは「原住民」の言葉を希望)。

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途中、12時半には、肉ラーメン。

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なぜか、店の前にはブランコが。

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12時20分には、保力の「大日本琉球蕃民五十四名墓」。

1871年に、那覇への貢納後に流れ着いた

宮古島の島民が、牡丹社で、

先住民(原住民)に殺された。

その時、逃げ延びた琉球人が、

ここ(保力)で保護されて、

清国を経由して日本にもどる。

それが機縁で、こういうお墓が。

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2時には、石門古戦場にたどりつく。

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小さな資料館で、牡丹社事件をあらためて学ぶ。

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牡丹社で、流れついた琉球人が殺されたのが1871年。

日本(明治)政府が、

これを「琉球処分」のきっかけとして

1874年に、「討伐」の軍を派遣した。

それは「台湾植民地化戦争」の最初にも。

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かつての戦場と今日の戦場跡。

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この谷が、その戦場。

南から(上の写真では向こう側から)

日本軍が攻め込んで、

山で待ち伏せしていた先住民との戦闘に。

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資料館から、やや南に下ったところにあった、

かつての「西郷都督遺蹟記念碑」は、

上のように文字が変えられてきた。

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「いまの文字を見たい人はダッシュ」

「時間がないぞ~」。

5~6人が、300段を駆けのぼり、

こちらも、どうにか着いていく。

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まだ、文字はつぶされたまま。

2時半には、バスにもどり、

さんにお土産を渡して、お別れする。

ここから「台北」に向けた逆コース。

こちらは、ネット情報を、カシャカシャカシャ。

4時すぎには、「高雄」の駅に着いていく。