5月12日は、9時ちょうど起床の朝であった。

 特殊栄養ドリンクをクピリと飲んで、

 たまったメールに返事を書き、

 「本第3章の人」となっていく。

 東京出張のあいだに、

 なぜかパソコン配達の不在通知が入っていた。

 こんなに早く、直って、もどってくるものか。

 とりあえず、明日受け取る算段をつけ、

 12時ちょうどには、外に出る。

 JR「加島」から「西宮」へ、

 車中「行幸啓の人」となって移動する。

 教育開発センターに東京土産を放り込み、

 会議に急ぐが、

 途中「慰安婦」問題などで、F井先生と立ち話。

 12時40分から、キャリア教育委員会。

 今年度最初の会議なので、

 去年を大きくふりかえり、

 今年をガバッと展望する。

 会議室で、1人コソコソ弁当を食べ、

 研究室にもどって、天皇本のコピーをする。

 憲法県政方面のメモをつくってみるが、

 どうも知恵が足りないらしい。

 3時から「3年ゼミ-毒ガス問題から軍の『慰安婦』関与資料まで」をする。

 やりたいこと、知りたいことがたくさんあって、 

 5時間がまるで足りなく思えてくる。

 なぜか8時になっても、学生たちが帰らない。

 なにかの興奮や余韻といったものがあるのだろうか。

 研究室で授業のまとめを書いて、

 週末のレジュメをひねっていく。

 10時すぎには、明石へ、名古屋へ、ガッシン、ガッシン。

 JR「西宮」から「尼崎」へ、「加島」へ、

 車中「行幸啓の人」となっての帰宅である。

 洗濯機のスイッチを入れて、

 豚肉をタマゴ焼でまいていく。

 それにしても、いよいよ原稿仕事が、つまってきた。

 暴力的な正面突破あるのみである。