8月30日、夕方、またしてもケータイに講師依頼が入る。

 やめてね、迷惑だから。

 そして、わが番号を知っている人は、

 そういう目的で使用しそうな人には、

 絶対に教えないでほしい。

 そうしないと、本当に、番号をかえねばならなくなるから。

 6時すぎ、ふと万歩計をみると、なんと108歩であった。

 「ひきこもり」というのは、おそろしいものである。

 「いくらなんでも、これはイカン」と、

 散歩がてら、近くのスーパーに買い物に出る。

 「行けば、何か食べたいものがあるだろう」

 という楽観はあっさり崩れる。

 食欲はあるのだが、

 味覚が何にも反応しない。

 スーパー歴40年のわが身ながら、

 なんとも味気ない買い物となる。

 ついでに、その辺をブラリと歩き、

 明日の東京チケットも買ってみる。

 家にもどって、「書評原稿の人」となっていく。

 8時には、買ってきたものをあれこれ広げる。

 きゅうりとナスのぬか漬けを、

 グニュリと洗って、シャクシャクと切る。

 アカセンは、出汁しょうゆで

 炒めて、蒸す。

 「食えば、うまい」んだけでなあ。

 9時すぎには、再び「書評原稿の人」となる。

 11時には、どうにか形ができあがる。

 思ったよりも早かった。

 途中で見つけて、気に入った文章。

 「われわれの理論は発展の理論であり、

 まる暗記して機械的に反復するような教義ではありません。

 アメリカ人にこれを外から教え込むことが少なければ少ないほど、

 また彼らがこれを自分の経験により

 --ドイツ人の援助により--ためすことが

 多ければ多いほど、この理論はそれだけ深く

 彼らの肉となり血となるのです」

 (エンゲルスからケリ-ウィシュネウェツキへの手紙、

 87年1月27日、『全集』36巻、525ページ)。

 大切なメールが1本入り、

 つづいて、これへの返事を書いていく。

 すると、世間は日付をかえた。

 本日の最終万歩計は、2294歩。

 明日は、東京会議であり、往復原稿書きとなる。