4月28日は、10時半起床の朝であった。
パソコンに向かっていると、
にぎやかに新参が帰ってくる。
再び、相方が外に出たところで、
新参と特殊栄養ドリンクをわかちあい、
ベランダでボォーッと、
春の世間をながめてみる。
とはいえ、新参はつねにそこいらを動き回り、
つねに何事かをしゃべっている。
12時半には、ネギ焼きをパクパクパク。
ヤツが寝かしつけられたところで、
再びパソコン前にもどっていく。
アドレス変更連絡の返事が、
なつかしい卒業生たちからも帰ってくる。
2時すぎには家を出る。
JR「加島」から「尼崎」へ、「西宮」へ、
車中「天皇の人」となって移動する。
3時から「3年ゼミ-学生による学びがようやくスタート」をやっていく。
「広島に行ってきたので」と、
H佐さんが笑いながら
「もみじ饅頭」を配っている。
5時50分まで、やって、30分休憩。
学びの真剣味が深まり、
「学びを通じた仲間」の意識も生まれてくる。
休憩時間には、カップ麺を片手にもった、
はげしきお湯の争奪戦がある。
こちらも春雨ヌードルをゾゾゾゾゾ。
8時ちょうどにはゼミ終了。
「こんな本は」「あんな本は」というゼミ生たちの相手をして、
しばし、小仕事に立ち向かう。
9時をまわったところで、大学を出る。
JR「西宮」から「尼崎」へ、「加島」へ、
車中「天皇の人」となっての移動である。
10時には家にもどり、「鉄腕DASH」などながめながら
蒸し蓋とキムチを片づける。
相方と新参は、実家にもどった。
今回、新参がたいしたケホケホにならなかったのは、
連休で工場も止まり気味だったからか。
新聞、郵便物をながめ、
夜は「多喜二の人」を終えていく。
多喜二は、29才の若さで殺されてしまう。
無事、戦後を迎えることができれば、
いったいどれほどの仕事をしたのだろう。
よかれ悪しかれ、濃密であることを
社会に余儀なくされた人生だったと、
あらためて思う。
まったく対照的に、
もうしわけないほど、
平和ボケのわが人生。