3月28日は、8時起床の朝であった。
メールをチェックし、いくつかのサイトをながめて、
ノロノロいつものように動いていく。
9時20分には、外に出る。
JR「加島」から「海老江」へ、
千日前線「野田阪神」から「なんば」へ、
御堂筋線「なんば」から「新金岡」へ、
そして「北花田」へ。
最後は余計な逆走だったが、
車中「堺の人」となって移動する。
「北花田」で、相方、新参と合流し、
そのまま、クルマで「浜寺公園」へ。
大きな公園のミドリや遊具で、
新参様の接待である。
まずは「こども汽車」に乗ってみる。
そして、ヨイヨイと、時間をかけて階段をのぼり、
ガシャガシャと、一瞬で滑り台をおりていく。
一番のお気に入りは、
コンクリートのトンネルくぐり。
熱心に、あっちへ、こっちへ、はっていた。
もしも、途中で何かがあれば、
大人のカラダでは、入れない。
その時には、食い物でつるしかないのだろう。
12時すぎには、ベンチで食事。
サンドイッチをパク、パク、パク。
目の前の桜の花が、
見る間に開いていくようなあたたかさ。
1時前には、公園を出る。
新参は、ただちに昼寝の態勢へ。
クルマで30分で、「加島」にもどる。
ヤツを布団にうつし、こちらもウトウト眠りこむ。
さて、今日は、わが51才の誕生日。
大福をケーキのかわりにしてみるが、
お茶をいれるあいだに、新参が、
パックをあけて、ていねいに、上からヨダレをまぶしていた。
先に手をつけなかったのが、
ヤツなりの、せめてもの理性の発揮ということか。
4時半には、相方と新参は実家にもどる。
こちらは見送りついでに、クリーニング屋へ。
生協からとどいた食材を片づけ、
夜は「伊勢うどん」を食べてみる。
世間はいろいろ、うどんもいろいろ。
誕生日のお祝いメールを、
A子や学生たちからもらっていく。
大学からは「ミツバチ文書」も、届いていた。
新参誕生後のあまりの生活のハードさに、
一度はあきらめられた
人生130年の計画だが、
ここに荘厳なBGMを流しながら復活させてみたい。
残り人生79年。
簡単に今後の展望を語っておこう。
とりあえず、しばらくは、ただただ突っ走る。
仕事も、運動も、しゃべりも、書き物も。
中身は、社会の動きと自分の力が勝手に決める。
65才であらゆる取り組みのリーダーを後輩にゆずる。
「立場」は人を育てる。
そうであれば、伸びる世代にこそ「立場」は提供されるべき。
もちろん、こちらも、個人としてはしゃべりまくる。
書くのは、メンドウだから、どうなるかわからん。
とはいえ、やっぱり書かないと、
アタマは前には進まないか。
特に70才以後は、ボケを口実に、
いま以上に好き放題をしゃべりまくる。
その時点で、A子42才、B男40才、C男38才、新参20才。
あとの人生は、その段階で考えたい。
人生もまた社会と同じく、
その時々に切り拓かれるべき段階の連続である。
まずは、明日コケて、
いきないボケてしまうことがないよう警戒したい。